話・はなし・噺・HANASHI
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絵 張紅 文 李順然 |
わたしの文字が最初に本になった『わたしの北京風物誌』(東京・東方書店1987年)に、カットを添えてくれた張紅さん、当時は美術学校をでたばかりのお嬢さんだった。その後張さんは発奮し、中国美術教育の最高学府である中央美術学院に入学し、卒業後は中国指折りの大手出版社・三聯書店のベテランアートディレクターとして活躍している。
三十年前にちゃきちゃきの北京っ子の張紅さんが『わたしの北京風物誌』に描いてくれたカットには、自動車の洪水もなく、高層ビルの林立もなかったあのころの北京の庶民の心が感じられる。一人で楽しんでいるのはもったいないので、毎回このコーナーに登場してもらい、わたしの退屈な雑文に色を添えていただくことにした。
第七十三回
天安門素描
十月一日は、中華人民共和国の建国記念日、中国では「国慶節」といわれています。一九四九年の十月一日、毛沢東主席が天安門の楼閣の上から、中国人民共和国の成立を全世界に宣言したのです。このときから、天安門は新中国のシンポルとなってきました。
北京は、その昔「城門の都」といわれたほど城門が多く、大きな城門だけでも二十四あったそうです。天安門はそのうちの皇城四門、つまり宮城を囲む四つの城門の一つ、しかもその正門、つまり表玄関だったのです。昔の天安門は、その上から皇帝の即位や皇后の冊立など重要事項を天下に知らせる所でもありました。
その一方、天安門とその前の広場は民衆の力を示す場でもありました。早くは一六四四年四月二十五日に李自成の率いる農民蜂起軍が、そのころ承天門といわれた天安門に矢を放ち、ここから紫禁城(故宮)に入って、三百年近く続いた明王朝(1368~1644年)を滅亡に追いやっています。下って一九一九年五月四日には、外国の侵略者とそれに手を貸す売国奴を糾弾する大デモンストレーションが天安門前でくりひろげられました。このデモは中国各地に拡がり、中国の新民主主義革命が幕を開けました。中国の歴史でいう「五四運動」です。また、一九七六年四月の「清明」の前後には、この年の一月に亡くなった周恩来総理をしのぶ民衆が花輪を持って天安門前の広場にある人民英雄記念碑の前に集まりました。そして、暴政に暴政を重ねる「四人組」を糾弾する詩を朗読したりしました。これに血の弾圧を加えた「四人組」は、民衆の強い憤りを買いました。こうした民衆の怒りのなかで、「四人組」はこの年の十月六日に滅亡し、中国の大地にふたたび希望の光が訪れたのです。
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