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第七十二回

漢詩のなかの暑と涼

 気象学では、北京の夏は6月5日から9月7日までの95日間となっています。春が65日、秋が45日、冬は160日、一年で二番目の長い季節、ざっと3ケ月が夏というわけです。

 そこで、夏のひととき、今回は李白、杜甫で日本の民衆からも親しまれてきた漢詩から、暑さと涼しさを詠った字句を拾ってご紹介し、暑中見舞いに替えさせていただきましょう。

 暑――田園詩人ともいわれた唐の詩人柳宗元(773~819年)は「夏の昼の偶作」というタイトルの詩で「南州の溽暑酔う7酒の如し」と詠っています。南州は現在の広西チワン族自治区の柳州市、柳宗元がここに左遷されていたときの作です。「溽暑」、なにか蒸し蒸ししてくる感じの二字ですね。

 下だって宋(960~1279年)の時代、南宋(1127~1279年)の四大家の一人に数えられた楊万里(1124~1206年)は「苦熱」というタイトルの詩を作っています。「溽暑」が蒸し暑さならば「苦熱」はカンカン照りつける太陽の暑さでしょう。楊万里はこの詩で「一面はこれ水、五面は日、日光は水を煮て復た湯と成る」と炎天下の暑さを詠っています。

 涼――苦あれば楽あり、暑あれば涼あり、次は涼です。手元に唐代(615~907年)の大詩人、詩仙と呼ばれた李白(701~762年)と詩聖と呼ばれた杜甫(712~770年)の「涼」を詠った短い詩がありましたので、詩そのものをご紹介しましょう。涼しさとときに、李白の「仙」の片鱗と杜甫の「聖」の片鱗をかいまみることができるかもしれません。

 李白と杜甫の詩に移る前に、ここでちょっと一休み、張紅さんのさし絵をみていただきましょう。(左)「わたしの北京風物詩」七月のページに描いてくださったものです。北京の庶民の「暑」と「涼」の一端を浮き彫りりしています。北京の胡同(横丁)やそこの住宅の中庭でよく見かけた風景です。以前はパンツだけで上半身ははだかという人もいましたが、北京オリンピック前後からこうした姿は見られなくなっています。それにしても、昨今の高層ビルラッシュ、胡同自体が少なくなり、張紅さんのさし絵のような「涼」は、たいへん「贅沢」なものになっています。

 さて、「涼」の詩の鑑賞、まず李白の「夏日山中」です。

 白羽扇を揺るがすに懶(ものう)し

 裸体青林の中

 巾を脱して石壁にかけ

 頂を露わして松風を灑がしむ


 ――暑い、暑い、扇を使うのさえおっくうだ、こんもりと茂った松の木陰で上衣を脱いで裸になり、帽子をとって頭のてっぺんから涼しい風を楽しもう。

 いかにも天衣無縫、ものごとにこだわらない李白らしい涼み方ですね。なにか、張紅さんのさし絵の北京の庶民の「涼」と一脈相通じるものが感じられます。

 次は杜甫の「夏日李公訪れる」というタイトルの詩です。真夏の暑い盛り、他人の迷惑も考えずにたずねてくる「招かざる客」、昔の詩人はこうした人のことを「熱客」といっていましめています。千三百年も昔の魏末晋初の詩人程曉(生没年末詳)は、「熱客を嘲ける」というタイトルの詩で「熱行は宜しくとがめられるべし」と書いています。しかし、律義者の杜甫は、こうした客を夜を正して迎え、客間に通しています。「夏日李公訪れる」はまず書き出しで、

 遠林暑気薄れ公子我に遇りて遊ぶ

 ――深い林にかこまれたわが家。この林のおかげで暑さもいくらか和らぐ感じた。このわが家に李さんが遊びにきた。

 と詠い始めています。それから数行とんで、こんな句がでてきます。

 清風左右より至り客意すでに秋かと驚く

 ――涼しい風の左からも右からもとどき、お客さはもう秋かなと驚く

 誠実な杜甫は、客を風通しのいちばんいい客間に通してもてなしたのでしょう。涼しい風ととも、杜甫のおもでなしの心が感じられました。

 追記:

 前回の「うちわとせんす」で使う予定だった張紅さんのさし絵「うちわと扇子」です。

 左側のいちばん上のうちわは、前回で紹介したびんろうややしの葉で作ったおもてが三十センチもあるうちわです。使っていると愛着心が生まれ、丈夫なので十年も使っています。

 右側の二番目は鳥の羽根をおもてに使ったせんすです。いずれも、人の手で一本一本丹精込めて作られたものです。

作者のプロフィール

 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。

紹介した内容

第七十三回 天安門素描
第七十二回 漢詩のなかの暑と涼
第七十一回 うちわとせんす
第七十回 五四大街・景山前街・文津街
第六十九回 ざくろの花とちまきの餡
第六十八回 柳絮・漢詩・俳句

第六十七回 黄塵万丈&霧霾万丈
第六十六回 春のリニューアル
第六十五回 北京の旅の穴場
第六十四回 圧歳銭
第六十三回 年の瀬に
第六十二回 涮羊肉と砂鍋白菜
第六十一回 酒鬼
第六十回 漢字の危機
第五十九回 「わたしの夢」さし絵
第五十八回 赤子の心
第五十七回 菊の花と人の顔
第五十六回 馮小剛・莫言
第五十五回 国慶節・天安門・私
第五十四回 エジソンと携帯電話
第五十三回 仲秋節
第五十二回 秋到来
第五十一回 同姓同名
第五十回 王府の今昔
第四十九回 光盤行動・低配生活
第四十八回 -禿三話-
第四十七回 交通マナー雑議
第四十六回 苦熱・溽暑
第四十五回 「雑家」の「雑文」
第四十四回 思い出のラジオ番組
第四十三回 大学受験シーズン
第四十二回 五月の色
第四十一回 ―法源寺・鑑真和上―
第四十回 北京の若葉
第三十九回 煙巻褲(イエンヂュエンクウ)
第三十八回 踏青
第三十七回 シルクロードの旅点描
第三十六回 シルクロード点描②
第三十五回 シルクロード点描①
第三十四回 春の装い
第三十三回 春を探ねて
第三十二回 擲球之戯
第三十一回 春節と餃子

第三十回 「武」という漢字
第二十九回 緑の引っ越し
第二十八回 北京っ子と風邪
第二十七回 橄欖球・水泳・羽毛球
第二十六回 足球・篮球・乒乓球
第二十五回 九九消寒図
第二十四回 北京の冬
第二十三回 衣がえ
第二十二回 落ち葉
第二十一回 老舎と菊
第二十回 中日共同世論調査をみて②
第十九回 中日共同世論調査をみて①
第十八回 天高気爽③
第十七回 天高気爽②
第十六回 秋高気爽①
第十五回 納涼④
第十四回 納涼③
第十三回 納涼②
第十二回 納涼①
第十一回 男はつらいよ
第十回 苦熱
第九回 胡主席の卓球 温首相の野球
第八回 麦の秋
第七回 柘榴花・紅一点
第六回 漢字と笑顔
第五回 五月の香り
第四回 北京の古刹法源寺
第三回 井上ひさしさん
第二回 SMAPと中国語
第一回 春天来了

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