――暑い、暑い、扇を使うのさえおっくうだ、こんもりと茂った松の木陰で上衣を脱いで裸になり、帽子をとって頭のてっぺんから涼しい風を楽しもう。
いかにも天衣無縫、ものごとにこだわらない李白らしい涼み方ですね。なにか、張紅さんのさし絵の北京の庶民の「涼」と一脈相通じるものが感じられます。
次は杜甫の「夏日李公訪れる」というタイトルの詩です。真夏の暑い盛り、他人の迷惑も考えずにたずねてくる「招かざる客」、昔の詩人はこうした人のことを「熱客」といっていましめています。千三百年も昔の魏末晋初の詩人程曉(生没年末詳)は、「熱客を嘲ける」というタイトルの詩で「熱行は宜しくとがめられるべし」と書いています。しかし、律義者の杜甫は、こうした客を夜を正して迎え、客間に通しています。「夏日李公訪れる」はまず書き出しで、
遠林暑気薄れ公子我に遇りて遊ぶ
――深い林にかこまれたわが家。この林のおかげで暑さもいくらか和らぐ感じた。このわが家に李さんが遊びにきた。
と詠い始めています。それから数行とんで、こんな句がでてきます。
清風左右より至り客意すでに秋かと驚く
――涼しい風の左からも右からもとどき、お客さはもう秋かなと驚く
誠実な杜甫は、客を風通しのいちばんいい客間に通してもてなしたのでしょう。涼しい風ととも、杜甫のおもでなしの心が感じられました。
追記:
前回の「うちわとせんす」で使う予定だった張紅さんのさし絵「うちわと扇子」です。
左側のいちばん上のうちわは、前回で紹介したびんろうややしの葉で作ったおもてが三十センチもあるうちわです。使っていると愛着心が生まれ、丈夫なので十年も使っています。
右側の二番目は鳥の羽根をおもてに使ったせんすです。いずれも、人の手で一本一本丹精込めて作られたものです。
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