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第八回 麦の秋

 俳句に麦の秋という季語がありますが、若いころ、六月に何回か北京郊外の農村に麦刈りに行ったことがあります。トラックで朝早く出発、車が農村部に入り麦畑のあっだを駛ると、ふーと熟れた麦の穗の香りが漂ってきてうっとりするのでした。この香りに浸りたくて毎年募集があると志願してピクニック気分で出かけたものでした。若かったのですね。麦畑に横になってニキビ顔をしていた高校生時代に覚えたロバート・ブリッヂのこんな詩を口ずさんだりしていました。

       六月が来たら

     干し草の香りのなかで

     悪人と一日中坐っていよう

     見あげれば風そよぐ空

     白雲の明るい宮殿

 楽しみはまだありました。麦刈りで汗を流したあとで食べる西瓜の旨いこと、まさに甘露、甘露でした。あのころ、六月の声を聞くと北京の街には西瓜の山ができるのです。若かったのですね。二人で人間の頭ほどの西瓜をぺロリと平らげたり……。北京市民の一夏の西瓜の消費量は45キロという数字が新聞に出ていたのを覚えています。北京の西瓜は果物ではなく清涼飲料といった感じでした。昨今は、さまざまな清涼飲料が出回っているので、西瓜の消費量、いくらか減っているかもしれません。

 西瓜はその字のごとく西の瓜、シルクロードを通って西から入ってきた果物で、北京入りしたのは遼(916~1125年)の時代だそうです。そのごの長い歴史のなかで断えず品種改良がすすめられ味も形も北京市民に愛され、親しまれるようになりました。ずっと下って改革・開放の1980年代「京欣1号」という品種が誕生し、甘いのでとても評判となりましたが、これはその名の通り北京農業科学院と日本人の森田欣一さんが共同開発した中日友好の新品種でした。

 北京郊外での麦刈りから数年後、そして十数年後、わたしは朝鮮との国境に近い吉林省の農村、黄河の河岸の河南省の農村で、それぞれ一年「農民」をしていました。河南省では麦刈もしました。年をとったせいでしようか、ピクニック気分というわけにはいきませんでした。赤い夕陽が沈む大平原、腰をまげて刈っても刈っても続く長い長い畝、麦の香りを楽しむどころではありませんでした。頭に浮かんだのはロバート・ブリッヂの詩ではなく、唐の詩人李紳(772年~846年)の「農(のう)を憫(あわ)れむ」でした。

禾(いね)を鋤(す)きて日午(ひご)に当(あ)たり

汗(あせ)禾(か)下(か)の土(つち)に滴(したた)る

誰(たれ)か知(し)らん盤中(ばんちゅう)の餐(さん)

粒粒(りゅうりゅう)皆(み)な辛苦(しんく)なるを

 子供のころご飯のときよく親から一粒も零さないよう、残さないよう言われ、一粒一粒お百姓さんが汗水流して作ったのだよと諭されましたが、吉林と河南の農村での毎日で、「粒粒皆な辛苦なるを」という李紳の詩の心がいくらかわかるようになりました。都会育ちのわたしには、中国の基本を構成する農民、農村、農業を知る実に貴重な二年間でした。「中国の農村を知らずして、中国を語る資格あらず」という名言の持つ深い意味をいくらか理解できるようにしてくれたかげがえのない二年、わたしの後半生の道を決定づけてくれたかけがえのない二年でした。今でもよくあの二年を振り返り、自分を諭し、戒しめ、励ましています。

作者のプロフィール

 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。

紹介した内容

☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第七回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第六回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第五回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第四回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第三回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第二回
☆���話・はなし・噺・HANASHI~第一回

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