北京郊外での麦刈りから数年後、そして十数年後、わたしは朝鮮との国境に近い吉林省の農村、黄河の河岸の河南省の農村で、それぞれ一年「農民」をしていました。河南省では麦刈もしました。年をとったせいでしようか、ピクニック気分というわけにはいきませんでした。赤い夕陽が沈む大平原、腰をまげて刈っても刈っても続く長い長い畝、麦の香りを楽しむどころではありませんでした。頭に浮かんだのはロバート・ブリッヂの詩ではなく、唐の詩人李紳(772年~846年)の「農(のう)を憫(あわ)れむ」でした。
禾(いね)を鋤(す)きて日午(ひご)に当(あ)たり
汗(あせ)禾(か)下(か)の土(つち)に滴(したた)る
誰(たれ)か知(し)らん盤中(ばんちゅう)の餐(さん)
粒粒(りゅうりゅう)皆(み)な辛苦(しんく)なるを
子供のころご飯のときよく親から一粒も零さないよう、残さないよう言われ、一粒一粒お百姓さんが汗水流して作ったのだよと諭されましたが、吉林と河南の農村での毎日で、「粒粒皆な辛苦なるを」という李紳の詩の心がいくらかわかるようになりました。都会育ちのわたしには、中国の基本を構成する農民、農村、農業を知る実に貴重な二年間でした。「中国の農村を知らずして、中国を語る資格あらず」という名言の持つ深い意味をいくらか理解できるようにしてくれたかげがえのない二年、わたしの後半生の道を決定づけてくれたかけがえのない二年でした。今でもよくあの二年を振り返り、自分を諭し、戒しめ、励ましています。
|