話・はなし・噺・HANASHI
第三十九回
煙巻褲(イエンヂュエンクウ)
タイトルの「煙巻褲」とはなんのことなのでしょうか。まあ、まあお終いまで読んでいただければ、おのずから解答がでますので……。
廖承志という人がいました。中日友好協会の初代会長、東京生まれでチャキチャキのベランメエ調の日本語を話すんです。北京放送、いまの中国国際放送局の局長をしていたこともあり、局員の日本語のレベル向上のため、日本語部のオフィスでは日本語が公用語でほかのことばは禁物という「おきて」を作った人です。
廖承志さんは、日本語放送にもいろいろ注文をだしました。こんな一条もありました。
「君たちの放送を聞いている日本のリスナーは、きっと中国人は笑うことを知らない民族だと思うだろう。中国人はいつも上下をきちんと着てしかめっつらをして、かしこまっている民族だと思うだろう。君たちの番組には、まったくユーモアも笑いも感じられない。その実、中国人はとてもユーモアに富んだ民族なんだぜ。もっと笑いやユーモアのある番組を作れよう。君たちの頭は花崗岩のように硬い。軟らかく、軟らかく、さらに軟らかくだ……。
まあ、こんなわけで今日は廖承志さんを偲んで、笑顔とまでいかなくても顔の表情がいくらか緩むかも知れないお話をしましょう。
話の主人公は、北京ではかなり名の知られているファッションデザイナーの陳富美さんです。陳さんは在日華僑二世で1956年に中国に帰ってきました。かれこれ、60年近くも前の話です。中国では社会主義建設が本格的にスタートし、日本では神武景気、高原景気に湧いていたころでしょう。
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