第五十回
王府の今昔
北京の中心を南から北へ抜ける「王府井」と呼ばれる通りがあります。ここは、北京の銀座ともいわれる繁華街ですが、その名の由来は、ここにあった清王朝の王府(皇族や貴族の邸宅のこと)の井戸の水がとても美味しかったところから、この一帯が王府井と呼ばれるようになったそうです。
こうした清王朝(1644~1912年)の王府の跡は、現在の北京の百数十ヶ所に遺されていますが、その多くは学校や、公園、事務所、病院、工場、さらには高級料亭……に姿を変えています。
わたしの家から歩いて十分ほどのところにある中国の音楽の最高学府である中央音楽学院も、清第九代皇帝光緒帝(1874~1908年)が生まれた醇親王南府の跡に建てられたものです。広い中央音楽学院の敷地の片隅に、当時の南府の建物が残された一角があります。(写真参照)
北京中央音楽学院の敷地のなかにある清・醇親王南府の跡
わたしはときどき散歩がてらここに足を運んで清王朝の興亡史、とりわけここで生まれ育った光緒帝のこと、浅田次郎さんが『珍妃の井戸』で描いている珍妃との悲恋や絶対的な権政者西太后に阻まれた宮廷改革……などなど光緒帝がからむ一幕一幕を偲んだりしています。
そう、北京で育った世界の名指揮者小澤征爾さんは北京を訪れるたびに、中央音楽学院を訪れ、ここの先生や学生たちと餃子を食べたり、サッカーのボールを蹴りながら音楽を語りあっていますが、きっと光緒帝が生まれ育った屋敷の跡にも足を運んだことでしょう。
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