第三十四回 春の装い
北京には「二月八月乱穿衣」(二月、八月は衣乱れる)ということばがあります。ここでいう二月、八月は旧暦で、新暦では三月、九月のこと、三月と九月は寒からず暑からず、服装の型はさまざま、色はとりどり、つまり乱れるのです。たしかに、三月の北京では紺のコートを着ている人がいるかと思うと、カラフルなセーター姿の人、はてはミニスカートに半袖のブラウスで闊歩する人もいる……といった具合に、衣が乱れているのです。
マンションの庭の白木蓮 ――春到来 白木蓮が首を振る
わたしは、どちらかといえば「保守派」かも知れません。三月だ。春だといってそう簡単に薄着はしないのです。北京のおとしよりがよく言う「春捂秋凍」(春は厚着、秋は薄着)ということばが頭に滲み込んでいるのです。「捂」は「かぶせる」「おおう」という意味です。春先には、ちょっと暖かくなったからといって、すぐに薄着は禁物、少しずつ身体を春に合わせていくのだ、秋口には、ちょっと涼しくなったからといって、すぐに厚着は禁物、少しずつ身体を冬の寒さに耐えられるよう鍛えていくのだといったことでしょう。一理も二理もあると思います。四ヶ月以上と冬の長い北京、一、二ヶ月と春と秋の短い北京、その土地で代々の北京人が生みだした知恵といえましょう。
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この辺で目を人間界から自然界の三月に移しましょう。わたしの手製の花暦――折り折りにノートに書き留めておいた花暦からの抜き書き、1984年のものです。
三月九日:ポプラの花ひらく
三月十三日:蓮花池公園に白鳥飛来
三月十四日:桃の花ひらく
三月十五日:柳がうすみどり
三月十七日:北海公園のボート池に浮かぶ
三月二十一日:杏の花ひらく
三月二十三日:迎春花満開
三月二十四日:白木蓮咲く
手製の花暦から、柳の枝ふくらむ
北京の春の訪れ、「目にはさやかに見えねども」とでもいうのでしょうか、抜き足、差し足で静かに足を早めているようです。その「物的証拠」を一つ挙げておきましょう。さし絵の写真です。1985年と1996年に家の裏の河辺の同じところで同じところに折った柳の枝です。見くらべてください。
こうした自然界の動きの加連に加えて、人間界でも衣食住が「暖」という方向に向って改善されています。こうして、三月の北京では見かけたところ、わたしのような「春捂秋凍」派は、だんだん少なくなっているようです。
まあ、残り少なくなった人生、いまさら節を曲げて「春捂秋凍」派を離脱する気持はいささかもありません。春は厚着、秋は薄着を堅持して、なるべく元気に、なるべく長生きしようかなと思っています。
ちなみに、三月の北京の最低気温は氷点下12点5度、最高気温は22点6度、平均気温は十二月、一月、二月と氷点下、つまりマイナスだったのが、三月にはプラス4点3度となっています。
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