◎中国人大学生10人による「晩年の魯迅」のステージを鑑賞する。
◎中国社会科学院での交流、莫言、鉄凝といった中国の作家との交流。
◎宿泊は北京大学の学生寮で、食事は大学の学生食堂。
◎昼間は中国の作家や大学生と交流し、夜は映画、芝居、漫才を鑑賞。
◎自転車二台で妻と二人で北京の街をぶらぶらする……。
井上ひさしさんは、北京がいちばん美しく輝く秋、十月の北京訪問を希望していたそうです。
許金竜さんは準備万端ととのっていつでもお迎えできるようになっていたのに、とても残念ですと話していました。
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井上ひさしさんが亡くなってひと月ほどしたある日の『朝日新聞』の投書のページに「井上さん 護憲の灯守ります」というタイトルの投書が掲載されていました。福島県で高校の先生をしている山崎健一さんの投書で、山崎さんはこの一文をこんなことばで結んでいました。
「いまごろ井上さんは、天国の『ひようたん島』に渡り、基地や軍備のない、『戦争をしない国・日本』を願いながら、笑顔をみせていることだろう。」
わたしは、山崎健一先生の投書を読みながら上述の高校時代のわたしの恩師高橋泰郎先生のことを思い浮かべていました。ひよつとしたら高橋先生も「ひようたん島」にいらっしゃるかも知れませんね。高橋先生、本当にありがとうございました。
追記:「むずかしいことをやさしく、やさしいことをおもく、おもいことをおもしろく」――これは井上ひさしさんが遺した名言です。残された日々、このこのことばを座右の銘として、ものを考え、ものを話し、ものを書いていきたいと思っています。
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