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第三回

井上ひさしさん


゜平和憲法について話る井上ひさしさん(2009年5月3日――「朝日新聞」)   

 日本の作家井上ひさしさんが亡くなったのは二年前(2010年)の四月でした。訃報に接し悲しみとともに、淋しさ、不安に襲われたのを覚えています。

 身を張って日本の平和憲法を守ってきた小田実さん、加藤周一さんに続く井上ひさしさんの死に悲しみとともに、淋しさ、不安を強く感じたのです。

 わたしは井上ひさしさんと同世代の人間です。しかも、在日中国人二世として日本で生まれ、日本の小学、中学、高校、大学で学んだのです。丁度、日本の平和憲法が生まれたころ、中・高校生でした。社会や歴史の授業で高橋泰郎先生は胸を張って平和憲法のもとで日本は武器を持たず戦争をせず、ひたすら平和の道を歩んでいく素晴らしい国になるのだと教えてくれました。平和がかけがえのない大切なものであることも教えてくれました。中国人のわたしも、日本人のクラスメートも、みんな眼を輝かせて日本はきっと世界の人から尊敬される平和な国になるだろうと思いました。

 ですが、そのごの日本の歩みをみていると、なにか日本が一歩一歩平和憲法の理想から離れていくような気がしてならないのです。そうした流れのなかでの井上ひさしさんの死、わたしが悲しみとともに淋しさ、不安を感じたのには、こうした背景があったかも知れません。

 井上ひさしさんの死、わたしはまたとても残念に思いました。というのは、井上さんが指折り数えて待っていたご夫人同伴の北京の旅が夢物語になってしまったからです。

 井上さんと相談しながらこのスケジュールを進めていた中国社会科学院外国文学研究所の許金竜教授に聞いた話ですが、井上さんは北京の旅のスケジュールに次のような希望をだしていたそうです。

 ◎中国人大学生10人による「晩年の魯迅」のステージを鑑賞する。

 ◎中国社会科学院での交流、莫言、鉄凝といった中国の作家との交流。

 ◎宿泊は北京大学の学生寮で、食事は大学の学生食堂。

 ◎昼間は中国の作家や大学生と交流し、夜は映画、芝居、漫才を鑑賞。

 ◎自転車二台で妻と二人で北京の街をぶらぶらする……。

 井上ひさしさんは、北京がいちばん美しく輝く秋、十月の北京訪問を希望していたそうです。

 許金竜さんは準備万端ととのっていつでもお迎えできるようになっていたのに、とても残念ですと話していました。

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 井上ひさしさんが亡くなってひと月ほどしたある日の『朝日新聞』の投書のページに「井上さん 護憲の灯守ります」というタイトルの投書が掲載されていました。福島県で高校の先生をしている山崎健一さんの投書で、山崎さんはこの一文をこんなことばで結んでいました。

 「いまごろ井上さんは、天国の『ひようたん島』に渡り、基地や軍備のない、『戦争をしない国・日本』を願いながら、笑顔をみせていることだろう。」

 わたしは、山崎健一先生の投書を読みながら上述の高校時代のわたしの恩師高橋泰郎先生のことを思い浮かべていました。ひよつとしたら高橋先生も「ひようたん島」にいらっしゃるかも知れませんね。高橋先生、本当にありがとうございました。

 追記:「むずかしいことをやさしく、やさしいことをおもく、おもいことをおもしろく」――これは井上ひさしさんが遺した名言です。残された日々、このこのことばを座右の銘として、ものを考え、ものを話し、ものを書いていきたいと思っています。

作者のプロフィール
 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。
紹介した内容
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第二回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第一回
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