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北京放送に入局しアナウンサーをしていたころの筆者

話・はなし・噺・HANASHI

第四十四回  思い出のラジオ番組

李順然

 わたしは東京生まれ、二十歳のときに北京に帰ってきた在日中国人二世なので、ここで書く思い出の番組は、すべて少年時代に東京で聞いたものです。

その一

 頭に刻まれている最初のラジオ番組は、小学一年のときに聞いた双葉山の連勝が69で止まった一番を伝える日本放送協会NHK)の実況中継でした。調べてみると、1939年1月15日のこととなっていましたが、わたしの小学一年生のときです。

 九段の暁星小学校に通っていたのですが、この番組を聞こうと飛ぶように代官山の家に帰ってきました。親父は、もうラジオの前に座っていました。たしか結びの一番だったと記憶しています。双葉山対安芸海、なにしろたいへんな歓声、アナウンサーがなにを言っているのかよくわかりません。「敗けた、敗けた」と叫んでいるのだけが聞きとれました。親父が横から「双葉山、敗けたよ」と教えてくれました。大人になってから新聞で見たのですが、アナウンサーの和田信賢さんが「人生七十古来稀なり。双葉山七十勝ならず」と放送したそうです。

その二

 日本の降伏を告げる天皇の「玉音放送」を聞いたのも覚えています。1945年8月15日の昼、中学一年のときです。独特の調子の日本語でよく聞きとれませんでした。一緒に聞いていた親父が「日本は敗けたよ」と言ってニコリと笑ったのを覚えています。アメリカ留学の親父はずっとアメリカが勝つと言っていました。わたしは、これで「特殊爆弾(そのころ、原爆のことをそう呼んでいた)」を浴びなくて済むなと思いました。八月六日に広島に原爆が落ちてからは、B29が一機で東京上空に現れると、原爆を落とすのじゃないかとびくびくしていたのです。蝉が鳴いていたのを覚えています。隣の家の庭の家庭菜園のトマトの赤い色を覚えています。

その三

 1949年の夏が秋のことです。汚職・腐敗の蒋介石国民党政府にはすっかり愛想を尽かし、かなり中国共産党贔屓になっていた親父が北京放送の日本語番組を聞こうと、とても性能のいいラジオを手に入れました。たしか、午後五時半ごろからの短い番組でしたが、その時間になると親父はラジオの前に座って静かに耳を傾けていました。高校一年、十六歳だったわたしも時々親父の横に座って聞きました。中国人民解放軍が南方の都市を開放していくニュース、中華人民共和国成立のニュース、朝鮮戦争のニュース……、中国共産党贔屓になっていたわたしも、胸をわくわくさせて聞きました。ラジオを聞いたあと、親父が「とうとうわたしたちの国が生まれた。中華人民共和国だよ」と言ったのがとても印象に残っています。

 そうこうしているうちに、1953年にわたしはとうとう「わたしたちの国」に帰ってきたのです。そして、縁は異なもの味なもの、北京放送の日本語部で働くようになったのです。リスナーからアナウンサーに衣がえしたのです。

 東京で聞いていたころの北京放送のアナウンサー王艾英さんとも会いました。もう五十近いおばさんでしたが、わたしの手を握って「よく帰ってきたわね。大歓迎よ」と言ってくれました。涙が出るほど嬉しく、実家に帰ってきたなと実感しました。

――○――

 思い出のラジオ番組、どうしたことか小学一年、中学一年、高校一年、いつも一年坊主のとき、そしていつも親父の傍らで聞いていました。

 早く母を失ったわたしの家では父は再婚もせず父母兼業、わたしたち兄弟(兄三人妹一人)をとても可愛がってくれました。父はわたしたちのことを上から泰ちゃん、恭ちゃん、恵ちゃん、順ちゃん、瑤瑤ちゃんとちゃんづけで呼び、わたしたちも親父を「パパちゃん」とやはりちゃんづけで呼んでいました。世のなかにこんなに好きパパはないとよく兄弟で話しあっていました。いまも存命の妹とは顔をあわすたびに、電話で話すたびに好きパパの思い出ばなしの花を咲かせています。

作者のプロフィール

 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。

紹介した内容

第四十四回 思い出のラジオ番組
第四十三回 大学受験シーズン
第四十二回 五月の色
第四十一回 ―法源寺・鑑真和上―
第四十回 北京の若葉
第三十九回 煙巻褲(イエンヂュエンクウ)
第三十八回 踏青
第三十七回 シルクロードの旅点描
第三十六回 シルクロード点描②
第三十五回 シルクロード点描①
第三十四回 春の装い
第三十三回 春を探ねて
第三十二回 擲球之戯
第三十一回 春節と餃子

第三十回 「武」という漢字
第二十九回 緑の引っ越し
第二十八回 北京っ子と風邪
第二十七回 橄欖球・水泳・羽毛球
第二十六回 足球・篮球・乒乓球
第二十五回 九九消寒図
第二十四回 北京の冬
第二十三回 衣がえ
第二十二回 落ち葉
第二十一回 老舎と菊
第二十回 北中日共同世論調査をみて②
第十九回 中日共同世論調査をみて①
第十八回 天高気爽③
第十七回 天高気爽②
第十六回 秋高気爽①
第十五回 納涼④
第十四回 納涼③
第十三回 納涼②
第十二回 納涼①
第十一回 男はつらいよ
第十回 苦熱
第九回 胡主席の卓球 温首相の野球
第八回 麦の秋
第七回 柘榴花・紅一点
第六回 漢字と笑顔
第五回 五月の香り
第四回 北京の古刹法源寺
第三回 井上ひさしさん
第二回 SMAPと中国語
第一回 春天来了

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