~東鱗西瓜~ 話・はなし・噺・HANASHI 李順然 第二十一回 老舎と菊
「菊を採る東籬の下悠然として南山を見る」――菊といえば、すぐに中国人の頭に浮かぶのは、晋の陶淵明(365~427年)の 「飲酒」のこのくだりです。晩秋の北京は、街いっぱいに秋の陽を浴びた菊の清清しい香りが漂っています。
もう五十年も前のことでしょうか、晩秋のある日、取材で作家老舎の家を訪れたことがありました。お庭いっぱいの満開の菊の花がとても印象に残っています。老舎が夫人の胡契青さんと一緒に丹精込めて育てたものだそうです。
北京で生まれ、北京で育ち、一生北京の庶民の姿を描き続けた老舎、日本の作家井上靖は「老舎は東方文化を代表する作家だ」と語っています。
例の「文化大革命」で、老舎は「四人組」の残酷な弾圧を受けましたが、それに屈することなく、その字「舎予」(その身を捨てる)のとおり自尽し、抵抗を貫きました。
わたしは老舎のファンです。老舎の描く北京に憧れていました。60年前に北京に住むようになってからは、老舎の作品を読みながら、そこに登場する北京のあちこちを歩き、常に老舎の作品に触れてきました。老舎の家に取材に行き、老舎と言葉を交した日の夜は、うれしくてなかなか眠れませんでした。
十年の「文化大革命」にピリオドが打たれ、老舎の描く北京が再び戻ってきたある日、わたしは「老舎を偲ぶことばを書いてください」と胡契青さんにわたしのサインブックを渡しました。胡契青さんは中国画壇の巨匠斎白石に絵を習った画家、わたしのサインブックに白、黄、赤三輪の菊の花、垣根の上からこの菊の花に向かって噺る一羽の小鳥を描いてくださいました。胡契青さんは「老舎のいち番好きな花は菊です」と話していました。一羽の小鳥、それは胡契青さんご自身でしょう。
1930年、老舎が山東の斎魯大学の年若き教授、胡契青さんが北京師範大学の学生だったころ、二人は北京で結婚しています。それからの30余年、二人の動乱に明け暮れる中国で雨の日も、風の日も愛しあい、励ましあい、助けあい、誠実、善良な中国知識人の生涯を貫きました。胡契青さんが描いてくださった絵、誠実、善良な中国の知識人を浮き彫りにしたものだといえましょう。
|