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第5回 五月の香り

   

 前回はライラックの香り漂う北京の古刹法源寺の話でしたが、このライラックの香りを頌える漢詩をみつけました。金の元好問(1190~1257年)の「瓶中の雑花に七首を賦す」です。

 「香中(こうちゅう)で濃(こ)きは瑞香(ずいこう)と人(ひと)は道(い)うも 誰(だれ)が信(しん)ず丁香(ていこう)の嗅味瑞香(しゅうみずいこう)と同じなるを……」

 瑞香とは沈丁花、丁香とはライラックのこと、沈丁花の香りがいちばんだというが、ライラックだってそれに敗けないよと歌っているのです。

 北京の五月、ライラックに続く花の香りは明の詩人乾若瀛(生没年未詳)が「簾(れん)を開(ひら)き 幽色(ゆうしょく)を弄(あそ)ぶ 時(とき)に香風度(こうふうわた)る有(あ)り」と歌った合歓(ネム)、宋の詩人江奎(生没年未詳)が「他年我若(たねんわれも)し花史(かし)を修(おさめ)るならば人間第一(じんかんだいいち)の香(かお)りに列(つらね)るなり」と歌った薔薇(バラ)……と花の香りが一つ一つと市民を楽しませてくれます。

 五月の北京の香りといえば、5月1日のメーデー前後に北京のお茶屋さんに南の安徽や福建から新茶が飛行機でとどき、「新茶上市」という札が店頭に掛かります。新茶独特の香りと色、味を楽しむのはこのころです。春を迎えるセレモニーというわけで、近くの茶の老舗「張一元」で、新茶を「ひとつまみ」包んでもらい、ベランダで街の新緑を眺めながら、白磁の茶碗のなかのうすい香りとうすいみどり、うすい味を楽しみます。 

 中国茶のなかで、いちばん好きなのは福建安渓の「鉄観音」です。清の風流皇帝乾隆帝(1711~1799年)が好んだとかいわれるこのお茶、その香りと味は「音韻」と表現されています。ハーモニー、バランスのよい香りと色、味とでもいうのでしょうか。

 「北京っ子」の好きな「花茶」(ジャスミン茶)も、ときどき飲みます。「花茶」のルーツは、やはり清代にさかのぼります。馬車や船で南の茶を北京に運んでくる途中、長い雨に遇い、香りや味が落ちてしまって頭を抱えた商人が窮余の一策として考えたのが茶のなかにジャスミンやハクモクレンの花を入れて売ることでした。あまりお茶のことを知らない北方人、当時の执政者の満州族の皇族・貴族がその香りに引かれてヒットしたそうです。そしてこのヒットの輪は、北京の街中に拡がり、茶商人は大喜こび、さらに儲けようと工夫に工夫を重ねて出来あがったのが、現在の「花茶」、「茉莉花茶」ともいわれるジャスミン茶だそうです。

 どこもかしこも花の香り、茶の香り……なにしろ、風薫る北京の五月は、「香」という漢字が一気にクローズアップされる月なのかも知れません。鼻がにわかに忙しくなる月なのです。

作者のプロフィール
 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。
紹介した内容
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第六回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第五回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第四回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第三回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第二回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第一回
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