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第四十六回

苦熱・溽暑

李順然  

 気象学によると、北京の夏は6月5日から9月7日までの95日間となっています。このうち、いちばん暑いのは7月です。7月の北京の平均気温は25.7度、最高気温は39.6度、最低気温は16.1度です。

 この暑さに対抗する手段は、昨今ではクーラーが主力で、7月に入ると電気の消費量が鰻のぼりに上昇します。わたしは、あまりクーラーを使いません。せいぜい、ひと夏で五、六回、指数えられるほどしかクーラーのスイッチを入れません。

 わたしの対抗手段は、四合院という北京独特の様式の家に住み馴れた「北京っ子」(老北京)が編み出し、代代伝えてきた納涼法です。ひとことで言えば、家の窓の開け閉めに細かく気を配り、涼しい風を部屋一杯に入れ、暑い風はピッタリと遮断することです。朝早いうちに窓を大きく開いて涼しい風を部屋一杯に入れる。そして、九時ごろ日差しが強くなる前に窓を閉め、陽のあたる窓はカーテンを下ろす。夕方から夜にかけても、この要領で窓の開け閉めに気を配る。一見、簡単なようですが、その家、その家によって微妙な違いがあり、ちょっと「学問」のいる仕事です。少なくとも、五、六年住み馴れないと、その要領は掴めないでしょう。

 家のなかだけではなく、森の都といわれた北京、おもてに出ても、ひよんな所でこの涼風に出会って驚き、かつ喜ぶことがあります。高層ビルの「林」に変りつつある昨今の北京では、かなり難しいことになってしまっているのですが……。奥深い胡同(横丁)のアカシアのトンネルの下だったり、公園の池の畔の松の木の下だったり、城門の楼閣の上だったり……やはり、自然の涼風がいちばんだなとつくづく想うひとときです。

 夏の熱さを「毒熱」「苦熱」「溽暑」「炎蒸」……と詠んだ昔の詩人も、この自然の涼風を「値千金」と頌えています。詩聖杜甫(712~772年)と詩仙李白(701~762年)の詩の行間に、この自然の涼風を尋ね抜き書きして、7月の北京のわたしからの暑中見舞いに替えさせていただきましょう。まず、杜甫の「夏日李公訪れる」というタイトルの詩です。この詩はまず書き出しで、

 遠林暑気薄れ

 公子我に過りて遊ぶ

 ~深い林に囲まれたわが家、この林のおかげで、暑さもいくらか和らぐ感じ。このわが家に李さんが遊びに来た、と詠い始めます。それから数行で、こんな句が出てきます。

 清風左右より至り

 客意すでに秋かと驚く

 ~涼しい風が左からも右からもとどき、お客様はもう秋かと驚くといった意味でしょう。客を迎える杜甫も家の風通しにかなり気を配っていたようですね。

 次は李白の「夏日山中」というタイトルの詩です。短い詩なので全文書き抜いて「さようなら」ということにしましょう。

 白羽扇を揺すに懶し

 裸体青林の中

 巾を脱して石壁にかけ

 頂を露わして松風を灑がしむ

 ~暑い、暑い、扇を使うのもおっくうだ。こんもり茂った松の木陰、上衣も脱いで裸になり、帽子もとって頭のてっぺんから涼しい風を楽しもう。

 追記:北京は空気が乾燥している上に、朝晩と日中の気温差が激しいので、家の中の風通しに気を配ることはきわめて有効です。

作者のプロフィール

 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。

紹介した内容

第四十四回 思い出のラジオ番組
第四十三回 大学受験シーズン
第四十二回 五月の色
第四十一回 ―法源寺・鑑真和上―
第四十回 北京の若葉
第三十九回 煙巻褲(イエンヂュエンクウ)
第三十八回 踏青
第三十七回 シルクロードの旅点描
第三十六回 シルクロード点描②
第三十五回 シルクロード点描①
第三十四回 春の装い
第三十三回 春を探ねて
第三十二回 擲球之戯
第三十一回 春節と餃子

第三十回 「武」という漢字
第二十九回 緑の引っ越し
第二十八回 北京っ子と風邪
第二十七回 橄欖球・水泳・羽毛球
第二十六回 足球・篮球・乒乓球
第二十五回 九九消寒図
第二十四回 北京の冬
第二十三回 衣がえ
第二十二回 落ち葉
第二十一回 老舎と菊
第二十回 北中日共同世論調査をみて②
第十九回 中日共同世論調査をみて①
第十八回 天高気爽③
第十七回 天高気爽②
第十六回 秋高気爽①
第十五回 納涼④
第十四回 納涼③
第十三回 納涼②
第十二回 納涼①
第十一回 男はつらいよ
第十回 苦熱
第九回 胡主席の卓球 温首相の野球
第八回 麦の秋
第七回 柘榴花・紅一点
第六回 漢字と笑顔
第五回 五月の香り
第四回 北京の古刹法源寺
第三回 井上ひさしさん
第二回 SMAPと中国語
第一回 春天来了

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