そういえば、「落葉」というタイトルでもう一首とても気に入っている漢詩があります。ご紹介しましょう。清(1644~1911年)の釈清恒というあまり名を知られていない詩人の詩です。
蕭蕭復蕭蕭/可聴不可数/山童睡忽驚/報道窓前雨
日本語訳はこの道の大家土岐善磨さんの名訳です。
さらさらまたさらさら
聴けども数えがたし
わらべは驚き覚め
窓辺の雨を告げし
わらべは、葉が落ちるさらさらという音を雨かと聴き間違えたのでしょう。秋の詩には珍しく、明るくユーモラスなので気に入っています。
自動車の騒音と高層ビルに囲まれたマンションの十二階に住む昨今のわたし、「さらさら」という落ち葉の奏でる音楽は、思い出の世界のものとなりました。
そういえば、北京の木の葉にはポプラのように木の上で緑を残したまま枯れてしまうものも少なくありません。馳け足でやってくる冬、乾燥した冬のせいでしょうか。
春の散る花は「ひらひら」、秋の落ち葉は「さらさら」、枝先で枯れてしまった緑の落ちばは、さしずめ「からから」、日本語の擬音語は実に繊細で豊富だなあと思いました。
追記:ひょっと開いた中尾太郎さんの画文集『北京の風景』の「落葉の音」というタイトルのページが目に止まりました。ちょっと、そのひとくだりを抜き書きさせていただきましょう。中尾さんは商社の駐在員として北京で暮らしていた方ですスケッチも中尾さんのもので「北京郊外北西1985Nov」と記されていました。
「……イーゼルを立て、絵具箱を開き、画帖をひろげると、頭上の枝が葉を落してくる。近くに、また遠いところに、風が梢を渡るごとに乾いた音をたてて葉も落して来る。プラタナスの一種で、遠くから眺めたあの梢に残っていた木の葉であろうが、手にとってみると、思ったより葉は大きくて、それだけに落葉の音もはっきりと聞きとれる。静かな果樹園の中で、風と落葉の音が、ゆく秋の時間を数えてゆく」
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