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話・はなし・噺・HANASHI

絵 張紅 文 李順然

 わたしの文字が最初に本になった『わたしの北京風物誌』(東京・東方書店1987年)に、カットを添えてくれた張紅さん、当時は美術学校をでたばかりのお嬢さんだった。その後張さんは発奮し、中国美術教育の最高学府である中央美術学院に入学し、卒業後は中国指折りの大手出版社・三聯書店のベテランアートディレクターとして活躍している。

 三十年前にちゃきちゃきの北京っ子の張紅さんが『わたしの北京風物誌』に描いてくれたカットには、自動車の洪水もなく、高層ビルの林立もなかったあのころの北京の庶民の心が感じられる。一人で楽しんでいるのはもったいないので、毎回このコーナーに登場してもらい、わたしの退屈な雑文に色を添えていただくことにした。

 第七十一回 うちわとせんす

 七月の北京の最高気温は39.1度、最低気温は16.1度、平均気温は25.9度、北京の一番暑い月です。

 張紅さんが『わたしの北京風物詩』の七月のページに描いてくれたさし絵です。北京のおばさんたちの夏の典型的な買いもの姿でしょう。街のあちこちに現われたスーパーマーケット、どの家にも電気冷蔵庫、どこでも使えるキャッシュカード…買い物の環境はだいぶ変りましたが、陽が高くならないうちに買い物を片付けてしまおうと右手に買い物かご、左手にうちわ、孫を連れて近くの朝市に向かうおばさんたちの姿はいまも健在です。朝市で知り合いになったおばさんは、朝市は品がいいし新鮮だし、安いし、値切れるし、おばさん連中とおしゃべりもできるし…と朝市のメリットを並べ立てていました。

 さし絵でおばさんが手にしているうちわは、北京っ子が愛用しているびんろうの葉で作ったびんろう扇かやしの葉で作ったやし扇です。日本のうちわよりひとまわりも大きく直径三十センチほど、そのひろいおもてから涼しい風を送ってくれます。また、張さんのさし絵からもうかがえるように日除けの日傘の役割りも果たしてくれます。

 うちわ挙げ日陰げを作り品さだめびんろうややしの葉で作られたうちわ。別におばさん連中の専用ではありません。老若男女を問わず、こうしたうちわは夏に欠かせないアクセサリーなのです。張紅さんの次のさし絵をみてください。一家で夕涼みのお父さんの手にも大きなうちわが握られています。このお父さんの手のうちわ、涼をとる以外にも大切な役目があるのです。夕涼みの道中で遭遇する大敵蚊や虫から大事なわが子を守ることです。このほか、お父さんが手にするうちわには、「あっちに行こう」、「こっちに行こう」と夕涼みの一家を案内する指揮棒のような役目もあるようです。まあ、こうした実用的な役目はさておき、夕涼みの男女、二人とも両手になにも持たない「手ぶら」は、あまり風流なものではありません。生理的に言っても、ちょっとバランスを欠きます。そこで、昔から夕涼みにはうちわやせんすがアクセサリーとして登場していたようです。

 夕涼み一家のあるじはうちわなり

 うちわとせんす――うちわは中国から日本に伝わり、せんすは日本から中国に伝えられたといわれています。せんすが日本から中国に渡ったのは、中国の北宋(960~1127年)のころ、日本の平安時代だそうです。北宋の都汴京(現在の開封)の相国寺の縁日で売っていて、評判になったと史書に書かれているのです。千年も昔の中国で、しかも縁日で日本のせんすが売られていた、中日交流の歴史の庶民性をしめすエピソードですね。

 そういえば、わたしも日本のせんすを三十年近く使っています。日本の友達から貰ったものです。せんすのおもてには、日本の将棋の名人中原誠さんの筆で「道法自然」という四文字が書かれています。これは、孔子の先生の老子のことば、「道は自然に法る」、みていると心が

作者のプロフィール

 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。

紹介した内容
第七十回 五四大街•景山前街•文津街
第六十九回 ざくろの花とちまきの餡
第六十八回 柳絮・漢詩・俳句

第六十七回 黄塵万丈&霧霾万丈
第六十六回 春のリニューアル
第六十五回 北京の旅の穴場
第六十四回 圧歳銭
第六十三回 年の瀬に
第六十二回 涮羊肉と砂鍋白菜
第六十一回 酒鬼
第六十回 漢字の危機
第五十九回 「わたしの夢」さし絵
第五十八回 赤子の心
第五十七回 菊の花と人の顔
第五十六回 馮小剛・莫言
第五十五回 国慶節・天安門・私
第五十四回 エジソンと携帯電話
第五十三回 仲秋節
第五十二回 秋到来
第五十一回 同姓同名
第五十回 王府の今昔
第四十九回 光盤行動・低配生活
第四十八回 -禿三話-
第四十七回 交通マナー雑議
第四十六回 苦熱・溽暑
第四十五回 「雑家」の「雑文」
第四十四回 思い出のラジオ番組
第四十三回 大学受験シーズン
第四十二回 五月の色
第四十一回 ―法源寺・鑑真和上―
第四十回 北京の若葉
第三十九回 煙巻褲(イエンヂュエンクウ)
第三十八回 踏青
第三十七回 シルクロードの旅点描
第三十六回 シルクロード点描②
第三十五回 シルクロード点描①
第三十四回 春の装い
第三十三回 春を探ねて
第三十二回 擲球之戯
第三十一回 春節と餃子

第三十回 「武」という漢字
第二十九回 緑の引っ越し
第二十八回 北京っ子と風邪
第二十七回 橄欖球・水泳・羽毛球
第二十六回 足球・篮球・乒乓球
第二十五回 九九消寒図
第二十四回 北京の冬
第二十三回 衣がえ
第二十二回 落ち葉
第二十一回 老舎と菊
第二十回 中日共同世論調査をみて②
第十九回 中日共同世論調査をみて①
第十八回 天高気爽③
第十七回 天高気爽②
第十六回 秋高気爽①
第十五回 納涼④
第十四回 納涼③
第十三回 納涼②
第十二回 納涼①
第十一回 男はつらいよ
第十回 苦熱
第九回 胡主席の卓球 温首相の野球
第八回 麦の秋
第七回 柘榴花・紅一点
第六回 漢字と笑顔
第五回 五月の香り
第四回 北京の古刹法源寺
第三回 井上ひさしさん
第二回 SMAPと中国語
第一回 春天来了

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