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話・はなし・噺・HANASHI

絵 張紅 文 李順然

 わたしの文字が最初に本になった『わたしの北京風物誌』(東京・東方書店1987年)に、カットを添えてくれた張紅さん、当時は美術学校をでたばかりのお嬢さんだった。その後張さんは発奮し、中国美術教育の最高学府である中央美術学院に入学し、卒業後は中国指折りの大手出版社・三聯書店のベテランアートディレクターとして活躍している。

 三十年前にちゃきちゃきの北京っ子の張紅さんが『わたしの北京風物誌』に描いてくれたカットには、自動車の洪水もなく、高層ビルの林立もなかったあのころの北京の庶民の心が感じられる。一人で楽しんでいるのはもったいないので、毎回このコーナーに登場してもらい、わたしの退屈な雑文に色を添えていただくことにした。

第七十回

五四大街•景山前街•文津街

 北京で生まれ、北京をこよなく愛し、一生北京を描き続けた作家・老舎(1899~1966年)は、今回のタイトル『五四大街•景山前街•文津街』と連なる通りを「世界一美しい通りだ」と断言しています。今回は、秋の一日、この世界一美しい通りを散歩しながら、時々足を止めスケッチしてみましょう。

 天安門の前を東から西に走る長安街に並行して紫禁城(故宮)をへだてて、その北側を東から西に走るこの通りの散歩のスタートは、いつも五四大街の中国美術館前です。

 中国美術館は、1959年の中華人民共和国創立十周年を記念して建てられた北京の十大建築の一つです。この建物の屋根は秋の陽を浴びて金色に輝く黄色の瑠璃瓦です。白い建物の中央部は七階、両翼は五階、入り口の前にはちょっとした広場があり、ゆったりした感じの民族色豊かな建物です。皇室関係以外、あまり使うことが許されない黄色の瑠璃瓦が使われているのは、筋向かいの紫禁城(故宮)とのハーモニーを考えてのことだそうです。

 しばらく西に向かって歩くと、道が緩やかに南にカーブします。直線の多い北京の道では珍しいことです。ここを抜けると景山前街、紫禁城の城壁の上に立つ角楼が目に入り、カーブした理由がわかります。ここから道は紫禁城沿りに西に走るのです。瑠璃瓦で五色に輝く角楼は、正装をまとった近衛師団の儀仗兵のように直立不動でわたしを迎えてくれるのです。

 この辺から歩道の幅は十メートルほど、段違いの四段の並木が立体的な光と影を織りなしてくれています。こうした光と影を楽しみながらさらに西に行くと、紫禁城の北門である神武門の前にでます。

 通りをへだててその向かい側には、松やコノテガシワの緑にあふれる景山が絵のように美しい姿をみせてくれます。ここも紫禁城の建設ででた土砂を積み上げて作った皇室の御苑で最高度は45メートル、山の傾斜に沿って五宇のあずま屋が並んでいます。まんなかのあずま屋は万春亭と呼ばれ、昔はここから全北京を一望できたそうです。高層ビルが林立するようになった昨今、それはちょっと無理ですが、紫禁城の全景をカメラに収めることができる絶好の場所として、カメラを構える人で賑わっています。

 景山に別れを告げて、さらに西へ向かうと、通りはまたゆるやかに南にカーブします。

 景山前街は終わり、文津街に入るのです。北側には、皇帝の御苑として九百年以上の歴史を持つ北海公園の白い塔が目に入ります。清の順治八年(1654年)に建てられた高さ36メートルのラマ塔です。この塔を囲む池にはボートが浮かんでいました。青い空、白い塔、きらきら光る池、"秋"いっぱいの風景です。

 ここまで来て振り返り、先ほどのゆるやかな南へのカーブは、北海の風景を守るためのものだったことに気づきました。もし直線コースにしていたら北海の名園、世界一小さい城といわれる団城は、ブルトーザーに潰されて道路になっていたことでしょう。団城は直線コースの障碍物だったのです。

 東の五四大街の中国美術館から西の文津街の北京図書館(ここも民族的風格をそなえた宮殿のような建物です)までの散歩、色彩の魔術師といわれた梅原竜三郎(1888~1986年)をして「北京の秋の空は音楽を聞いているようだった」といわしめた光を浴びながら中国の美の枠のパノラマを心ゆくまで楽しめる贅沢なものでした。

追記:五四大街•景山前街•文津街の通りを「世界一美しい通りだ」と言った老舎は、ロンドン、ニューヨークで暮らし、パリ、ローマ、ワシントン、東京...を旅しています。「世界一」という資格があるのです。

 さし絵を添えてくれた張紅さんのいまの勤め先三聯書店は今回の散歩のスタート中国美術館のすぐ近くです。今回紹介した通りをときどき、散歩しているかも知れません。

作者のプロフィール

 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。

紹介した内容
第六十九回 ざくろの花とちまきの餡
第六十八回 柳絮・漢詩・俳句

第六十七回 黄塵万丈&霧霾万丈
第六十六回 春のリニューアル
第六十五回 北京の旅の穴場
第六十四回 圧歳銭
第六十三回 年の瀬に
第六十二回 涮羊肉と砂鍋白菜
第六十一回 酒鬼
第六十回 漢字の危機
第五十九回 「わたしの夢」さし絵
第五十八回 赤子の心
第五十七回 菊の花と人の顔
第五十六回 馮小剛・莫言
第五十五回 国慶節・天安門・私
第五十四回 エジソンと携帯電話
第五十三回 仲秋節
第五十二回 秋到来
第五十一回 同姓同名
第五十回 王府の今昔
第四十九回 光盤行動・低配生活
第四十八回 -禿三話-
第四十七回 交通マナー雑議
第四十六回 苦熱・溽暑
第四十五回 「雑家」の「雑文」
第四十四回 思い出のラジオ番組
第四十三回 大学受験シーズン
第四十二回 五月の色
第四十一回 ―法源寺・鑑真和上―
第四十回 北京の若葉
第三十九回 煙巻褲(イエンヂュエンクウ)
第三十八回 踏青
第三十七回 シルクロードの旅点描
第三十六回 シルクロード点描②
第三十五回 シルクロード点描①
第三十四回 春の装い
第三十三回 春を探ねて
第三十二回 擲球之戯
第三十一回 春節と餃子

第三十回 「武」という漢字
第二十九回 緑の引っ越し
第二十八回 北京っ子と風邪
第二十七回 橄欖球・水泳・羽毛球
第二十六回 足球・篮球・乒乓球
第二十五回 九九消寒図
第二十四回 北京の冬
第二十三回 衣がえ
第二十二回 落ち葉
第二十一回 老舎と菊
第二十回 中日共同世論調査をみて②
第十九回 中日共同世論調査をみて①
第十八回 天高気爽③
第十七回 天高気爽②
第十六回 秋高気爽①
第十五回 納涼④
第十四回 納涼③
第十三回 納涼②
第十二回 納涼①
第十一回 男はつらいよ
第十回 苦熱
第九回 胡主席の卓球 温首相の野球
第八回 麦の秋
第七回 柘榴花・紅一点
第六回 漢字と笑顔
第五回 五月の香り
第四回 北京の古刹法源寺
第三回 井上ひさしさん
第二回 SMAPと中国語
第一回 春天来了

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