次は「楊君のワンショット」、毎回の冒頭に次のような「自序」を入れて、楊哲三写真、李順然文の「弥次喜多」コーナーにしようと思っています。
楊哲三君(左)とぼく。北京飯店内の日本料理店「五人百姓」の前で
「楊哲三君(左)とぼくは、一九五三年に中国に帰ってきた在日本中国人二世である。二人は、それから半世紀ずっと北京で暮らし、ずっと日本語を使う仕事をしている。楊君はぼくの長年にわたる知音である。街頭の信号灯がおぼらにしか見えない楊君は、外出のさい玩具のようなカメラを手にする。そして街角の面白い風景を心で捉えてシャッターを切り、数枚を病身で外出ままならぬわたしに送ってきてくれる。こうして、わたしを優しく励ましてくれているのだ。」
四月の「楊君のワンショット」では、楊君が送ってきてくれた写真を受けて、ピッカピッカの新学年、家の近くの西城区青竜橋小学校の話をしようと思っています。
三等分の最後の一つ、それは「中国古文物へのいざない――わたしの選んだ一真」です。古文物などまったくの素人のわたしが、こんなテーマで話をする、まったくおこがましいことで、家内からも叱られました。でも、どうしてもやってみたいというのは、わたしの長年の夢なので、試行してみることにしました。
四月の「中国古文物へのいざない――わたしの選んだ一真」では、殷代(紀元前1600年~紀元前1046年)最大の甲骨「祭祀狩猟朱ト辞」を取りあげようと思っています。ご笑読ください。
殷代の甲骨文字
|