~東鱗西爪~ 話・はなし・噺・HANASHI 李順然
第四十二回
五月の色
冬服から夏服への衣替えは、日本では六月ごろからですね。こちら北京は春が短く夏の訪れが早いので衣替えもいくらか早いようです。街角で交通整理をしているお巡りさんが紺の服から白い服に着替えるのは五月一日からです。
これを合図にとでもいうのでしょうか、北京の街のストリートカラー、街の色調も一気に紺から白へと移ります。
明るい太陽、爽やかな風、軽やかに踊る若葉青葉、白いシャツに赤いネックタイを首に締めた少年先鋒隊の子供たち……。五月の北京の街角でよく見かける緑、白、赤の織りなす交響詩、わたしの大好きな風景です。春の色彩を詠った漢詩というと、すぐ頭に浮かぶのは晩唐の詩人杜牧(803~852年)の「江南の春」の起句「千里(せんり)鶯(うぐいす)啼(な)いて緑(みどり)紅(くれない)に映(えい)ず」ですが、北京の五月の色彩には、この緑、紅のほかに白が加わっているのです。少年少女の白いシャツです。ふわふわ空を舞う白い柳絮です。アカシアの小さな白い花です。チリンチリンと鈴を鳴らしながら街を行く散水車の白い車体です。白い帽子に白いエプロン姿でアイスキャンデーを売るおばさんが押すアイスキャンデー満載の白い手押し車です……。車といえば、マイカー時代に入った北京の若者のあいだで人気の白いスポーツカーがいちばん輝くのも五月でしょう。
五月の北京、どうして白がこんなに目を引くのでしょうか。白が慎ましやかに緑、赤、青……といったもろもろの花や木の色の引き立て役を務めているからかも知れません。白が謙虚に自分の役割を務めているからかもしれません。
ふと、こんなことばが頭に浮かびました。毛沢東さんが新中国誕生後間もないある年に言ったことばです。国民党政府の悪政と戦乱で痛み疲れた中国の大地を前にして、こう語っています。
「われわれの前にあるのは、一枚の白い紙である。この白い紙の上に、われわれは心ゆくまで美しい絵を描くことができるのだ」
この数十年、中国の民衆はこの一枚の紙の上に汗を流し、知恵を絞り、一心に美しい絵を描き続けてきました。それを端的に数字で現したのが、GDP世界第二位でしょう。しかし、これを人口あたりにすると日本の十分の一、まだまだ白い紙には空白がたくさん残っています。中国の民衆は、引き続き汗を流し、知恵を絞り、画筆を走らせていくことでしょう。
追記:
幼稚園でもらったクレヨンは、わたしにしろという色を教えてくれました。この雑文を書いていて、白についての考えがいくらか変わりました。豊かになりました。白は他の色があってはじめて存在するもの、ほかの色の引き立て役を演じて初めて価値が生まれるもの、だが、どの色も白に取って替ることはできないもの……、老いて学ぶ、これまた楽しからずやです。
|