もう一つ、易県を訪れたらぜひ足を運びたい所があります。三千年も前の話ですが、北京に都を置いていた燕が、強国秦の攻撃を受ける危機に見舞われました。この危機を逃げれるために、燕は秦の始皇帝を暗殺することを決め、刺客荊軻を秦に送り込むことにしました。そして、燕の太子丹が易県を流れる易水という川のほとりで荊軻を見送ったのですが、荊軻は船の上で「風蕭蕭として易水寒し、壮子ひとたび去ってまた還らず」と声高らかに歌って見送る人たちの涙を誘いました。この故事は日本にも伝えられているようですが、この舞台を見たいと地元の人に言うと案内してくれたのが、(写真②)です。地元の人は確証はありませんと話していましたが、わたしはここだと大きく頷きました。なにか、荊軻のあの歌声が響いてくるようでした。
易県を流れる易水
おまけというか、もう一ヶ所。三国時代の蜀の皇帝劉備の生まれ故郷が、易県から北京に帰る通り道にあるのです。北京市と河北省の境の街涿州です。劉備はここで生まれ、この土地の大商人の用心棒のような仕事をしていました。親分肌の劉備のまわりには若者が集まり、そのなかにはのちに同志となった関羽や張飛もいました。この三人が「桃園の義」を結んだ跡や張飛が使っていた井戸も残されています。
ここで車を止めて一服するのもいいでしょう。劉備をはじめ関羽や張飛の末裔たちの顔を見ることができ、「日本から来た劉備の大ファンです」といえば、ちょっとお話ができるかもしれませんよ。
今日は、北京旅行の穴場の中の穴場、易県をご紹介しました。
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