若き日の毛沢東(1893~1976年)がフィアンセの楊開慧(1901~1930年)と一緒にこの寺を訪れたという記録も残っています。1919年、毛沢東二十七歳のときのことです。
法源寺については、日本に渡って奈良に唐招提寺を建立した唐の高僧鑑真和上(688~763年)も、開元元年(713年)に法源寺を訪れ、仏法を学んだという説があります。成善卿著『花街漫歩・北京』にも、そう記されています。そんな因縁でしょうか、1980年の5月に唐招提寺の国宝鑑真和上像が中国に「里帰り」したときには、しばらくこの法源寺に置かれていました。中日友好の先人鑑真和上の姿を一日でもと、法源寺には連日のように北京市民の長い列がつくられました。
私も、この列に並んだ一人ですが、鑑真和上の像の前でふと頭を掠めたのは、芭蕉(1644~1694年)が鑑真和上への敬愛の念をこめてよんだ「若葉して御目の雫ぬぐはばや」という句でした。元禄元年(1688年)の旧暦の四月九日か十日の作だろうとされています。旧暦の四月、新暦ですと五月ですが、わたしは法源寺の鑑真和上像のやさしく閉じられた目に滲みでる涙を感じ、ライラックの香る境内のみどりの若葉をとって、「ご苦労さま」と涙を拭いてあげたいと思いにかられたのを覚えています。もう二十年も前のことです。
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