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第四十一回  ―法源寺・鑑真和上―

 毎年の四月の末から五月にかけて、北京市の中心部にある古刹法源寺にライラックの花を観に行くことが、わたしの歳時記に組まれていました。ここ数年は体調を崩しお休みにしていることが多いのですが、知らず知らずに心は法源寺の境内のライラックに向かっています。

 法源寺は唐の真観19年(645年)に建立された古刹です。ときの皇帝太宗李世民が朝鮮遠征で犠牲になった将兵の霊を祀るために建てたもので、当時は憫忠寺と呼ばれていました。北京の中心部の静かな胡同のなかにあるこぢんまりした静かなお寺で、四月から五月にかけて境内いっぱいにライラックの花が開きます。古刹だけあって、唐代の松、宋代のこのてがしわといった古樹古木や唐、遼、金代の石像や石碑、清の乾隆帝(1711~1799年)御筆の額「法海真源」(写真参照)などを楽しむことができます。

 若き日の毛沢東(1893~1976年)がフィアンセの楊開慧(1901~1930年)と一緒にこの寺を訪れたという記録も残っています。1919年、毛沢東二十七歳のときのことです。

 法源寺については、日本に渡って奈良に唐招提寺を建立した唐の高僧鑑真和上(688~763年)も、開元元年(713年)に法源寺を訪れ、仏法を学んだという説があります。成善卿著『花街漫歩・北京』にも、そう記されています。そんな因縁でしょうか、1980年の5月に唐招提寺の国宝鑑真和上像が中国に「里帰り」したときには、しばらくこの法源寺に置かれていました。中日友好の先人鑑真和上の姿を一日でもと、法源寺には連日のように北京市民の長い列がつくられました。

 私も、この列に並んだ一人ですが、鑑真和上の像の前でふと頭を掠めたのは、芭蕉(1644~1694年)が鑑真和上への敬愛の念をこめてよんだ「若葉して御目の雫ぬぐはばや」という句でした。元禄元年(1688年)の旧暦の四月九日か十日の作だろうとされています。旧暦の四月、新暦ですと五月ですが、わたしは法源寺の鑑真和上像のやさしく閉じられた目に滲みでる涙を感じ、ライラックの香る境内のみどりの若葉をとって、「ご苦労さま」と涙を拭いてあげたいと思いにかられたのを覚えています。もう二十年も前のことです。

作者のプロフィール

 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。

紹介した内容

第四十回 北京の若葉
第三十九回 煙巻褲(イエンヂュエンクウ)
第三十八回 踏青
第三十七回 シルクロードの旅点描
第三十六回 シルクロード点描②
第三十五回 シルクロード点描①
第三十四回 春の装い
第三十三回 春を探ねて
第三十二回 擲球之戯
第三十一回 春節と餃子

第三十回 「武」という漢字
第二十九回 緑の引っ越し
第二十八回 北京っ子と風邪
第二十七回 橄欖球・水泳・羽毛球
第二十六回 足球・篮球・乒乓球
第二十五回 九九消寒図
第二十四回 北京の冬
第二十三回 衣がえ
第二十二回 落ち葉
第二十一回 老舎と菊
第二十回 北中日共同世論調査をみて②
第十九回 中日共同世論調査をみて①
第十八回 天高気爽③
第十七回 天高気爽②
第十六回 秋高気爽①
第十五回 納涼④
第十四回 納涼③
第十三回 納涼②
第十二回 納涼①
第十一回 男はつらいよ
第十回 苦熱
第九回 胡主席の卓球 温首相の野球
第八回 麦の秋
第七回 柘榴花・紅一点
第六回 漢字と笑顔
第五回 五月の香り
第四回 北京の古刹法源寺
第三回 井上ひさしさん
第二回 SMAPと中国語
第一回 春天来了

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