話・はなし・噺・HANASHI 李順然
第三十一回
春節と餃子
二月は北京の市民にとって、いや中国人にとって一番忙しい月かも知れません。ただでさえ、二十八日か二十九日しかないこの月に、中国でいちばん賑やかな祝日春節(旧正月)が十年のうち七、八回といった割合でやって来るのです。大晦日、元旦、元宵節……と中国人が指折り装えて待つ祝日がやって来るのです。立春もこのころです。
まあ、これと一緒に七日間とか十日間とかの連休もやってくるので楽しさも一杯、「盆と正月が一緒に来たような忙がしさ」といったところでしょう。
二月のこの忙がしさには料理を作る忙がしさ、料理を食べる忙がしさも挙げられます。こうした料理の王様は、なんといつでも餃子(ギョウザ)でしょう。
この餃子の起源ですが、1968年にシルクロードで知られる新疆ウイグル自治区の人ルファンの唐(618~927年)のお墓からでた出土品のなかにお皿に盛った餃子が見つかり話題になりました。乾燥した新疆地方の気候のおかげで、この餃子、かなり原形をとどめていて、現在の餃子とほとんど同じ形だったそうです。こうして、餃子にも千年以上の歴史があることが立証されたわけです。
北京で正月に餃子を食べるようになったのは、まだ少しあとのことらしいです。明代(1308~1636年)に劉若愚という人が書いた『酌中志』には「正月一日、水点心を食べる」と書かれています。ここでいう「水点心」とは湯で煮た餃子のことです。また、清代(1644~1912年)に敦崇という人が書いた『燕京歳時記』には「この日(元旦)には貧富貴賎を問わず餃子を食べる」と記されています。
餃子を食べるのは元日ですが、餃子作りは昔から大晦日の夜ときまっています。一家が車座になって、行く年のあれやこれや、来る年のあれやこれやを語りあいながら、和気あいあい、賑やかに餃子をつくるのです。わが家の餃子の味、おふくろの味は、こうして大晦日の夜に、おばあさんからお母さんに、そして子供たちにも、一代一代受けつがれてきているのです。
餃子は日本ではギョウザと呼ばれていますが、これは中国語の「ヂャオヅ」の山東地方なまり「ギャオヅ」から生まれた中国的日本語だそうです。
ちなみに、日本で最初に餃子を食べたのは水戸黄門こと、徳川光圀(1628~1700年)だといわれています。清に滅ぼされた明の学者朱舜水(1600~1682年)が日本に亡命し、徳川光圀に学問を教えましたが、朱舜水はある年のお祭りに餃子を「福包」という名で光圀に献上したと『朱舜水氏談綺』に記されているそうです。
もしも、水戸黄門がまだ生きていて全国行脚をしたら、南から北までいたる所に餃子屋さんがあり、熱い餃子を食べることができるのを見て、びっくりすることでしょう。
|