ある年の秋、もう花を開き始めた庭の菊が、長雨で倒れた土塀の下敷きになって潰されてしまった話をする老舎さんの表情は悲しみに溢れていた。胡絜青さんは、老舎は菊の花がとても好きだったという。
1966年の春から始まった「文化大革命」、老舎さんは真っ先に「四人組」の激しい攻撃を受けた。心にも、身体にも深い傷を負った。だが、老舎さんは決して頭を下げなかった。胸を張って「四人組」と真っ向から対決した。そして自尽した。可愛がってもらった祖母の住んでいた家に近い北京西北部の太平湖のほとりで……。身を捨てて「四人組」を糾弾する壮烈な死だった。
1976年の秋、暗黒の「文化大革命」の十年に終止符が打たれた。
しばらくすると、老舎夫人の胡絜青さんとご長男舒乙さんが綴った老舎を偲ぶ文章が新聞や雑誌に載った。どの文章も深い悲しみと激しい憤りを感じさせ、涙なしには読めないものだった。舒乙さんの文章で知ったのだが、老舎の号「舎予」は「予を捨てる」、つまり「民衆のよりよい社会のために命を捨てる」という決意の表明だと知って強く心を打たれた。花を愛し、民衆を愛した老舎は、筋金入りの硬骨漢だったのである。
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