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「まあ まあ」&「どうも どうも」

 「まあ まあ」と「どうも どうも」は、曖昧な日本語のなかでも東西の両横綱かも知れない。その使用頻度はきわめて高く、中国人もよく耳にする。今回は「まあ まあ」「どうも どうも」と中国の要人中の要人、毛沢東さん、江沢民さんが絡んだエピソードだ。事例はいずれも中国の知日派として知られる劉徳有さんの力作『時光之旅』(商務印書館――『時は流れて』というタイトルの日本語版あり――藤原書店)とその姉妹篇『心霊之約』(商務印書館)からの借用である。

 まあ、まあ

 まず、「まあ まあ」。一九六五年の夏、毛沢東さんが中日青年友好大交流で北京を訪れた日本のわかものと会ったときの話だ。居あわせた当時の日本共産党書記局員の砂間一良さんが毛沢東さんに「お元気ですか」と挨拶すると、毛沢東さんは「还好(ハイハァオ)」と答えた。劉徳有さんは、間髪入れず「まあ まあです」と通訳する。この劉徳有さんの「まあ まあです」という日本語を耳にした毛沢東は、まるで尻取りでもするように「まあ まあ」を受け、間髪入れず中国語で「馬馬虎虎(マアマアフウフウ)」(マアマアフウフウ)と言葉を続けた。この場面での「馬馬虎虎(マアマアフウフウ)」は、まさに日本語の「まあ まあ」である。

 「まあ まあ」という日本語を耳にして、すばやく同じ音、同じ意味の「馬馬虎虎(マアマアフウフウ)」という中国語で反応した毛沢東さんの鋭い音感、豊な機智。さすが毛沢東、『時光之旅』のこのくだりを読みながら、わたしは大きく頷き声をだして笑ってしまった。そして、中国語と日本語、両方できてよかったなと思った。そうじゃなきゃあ、こんな笑いはなかっただろう。

 このエピソードには、まだおまけがある。本ではくわしく触れていないが、劉徳有さんご本人に聞いたところ、毛沢東さんの「馬馬虎虎(マアマアフウフウ)」を劉さんは「還好(ハイハァオ)」で使ったばかりの「まあ まあです」という訳語を繰りかえすのもどうかと思い、「まず まずです」と訳し分けたそうだ。毛さんの「還好(ハイハァオ)」「馬馬虎虎(マアマアフウフウ)」を「まあ まあです」「まず まずです」と訳し分けたのである。

 わずか10秒か20秒のあの場面で、咄嗟に訳し分けをした劉さんの機敏な反応、豊富な語彙、まったく神技に近い。

 わたしは、以上の情景を思い浮かべるたびに、舞台の上の主役と脇役のぴったり息のあった名演技を観ているような快感を覚えるのだ。

 どうも、どうも

 次は「どうも どうも」。劉徳有さんが文化部副部長(文化次官)の職にあった一九九二年の話である。日本の松山バレエ団の北京公演を観にきた江沢民さんが、幕前のひととき団長の清水正夫さんらと雑談をしていた。江沢民さんは、同席していた中日友好協会会長の孫平化さんに「ところで、日本語の『どうも どうも』はどういう意味なのかね」とたずねた。きっと、いろいろの場面で「どうも、どうも」を耳にして、どういう意味か興味を持っていたのだろう。

 孫平化さんは、「劉さん、どういう意味かな、説明して……」とバトンを居あわせた劉徳有さんに渡す。「どうも どうも」についてのエッセイを書いたこともある劉さん、そのエッセイを思いだしながら、「どうも どうも」の文法的解釈、多様な意味、実用例などを江沢民さんに説明した。外国語に強い江沢民さんは「なるほど、そういう意味なのか」と大きくうなずいたそうだ。

 どの国、どの地方のことばにも、曖昧さはあるだろう。だが、日本語の曖昧さはたいへん特長があり、突出しているのも事実だ。時と場合によっては、こうした曖昧さはプラス面の役割をはたすこともある。だが、あくまでも時と場合によってである。例えば、国際関係の原則的な問題では、百害あって一利なしだろう。劉徳有さんも『時光之旅』の姉妹篇『心霊之約』で、その半世紀にわたる中日交流の現場の体験から次のような警句を発している。

 「国際事務の中で『イエス』か『ノー』かをはっきりさせない『八方美人』的なやり方は、ますます行き詰ってきている」、「日本の政界の一部の人は、国際交流のなかで曖昧模糊な言葉を使いたがる。……ここでの曖昧模糊は『虚像』であり、『虚像』の背後には往往にして『実像』が隠されているのだ」

 追記:去年(2010年)のことです。『朝日新聞』(2010年4月20日)に大江健三郎さんの「『強者に有利なあいまいな言葉』明らかな言葉が抵抗の力」というタイトルのエッセイが載っていました。的を射たタイトルだと思いました。もちろん内容も説得力があり、たいへん勉強になりました。

作者のプロフィール
 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。
紹介した『東眺西望』

東眺西望(三十七)ー小澤征爾の魅力
東眺西望(三十六)「まあ まあ」&「どうも どうも」
東眺西望(三十五)周総理・日本語放送・「文化大革命」
東眺西望(三十四) 養之如春--井上靖
東眺西望(三十三) 友は多ければ多いほどいい――廖承志
東眺西望(三十二) 花を愛する硬骨漢--老舎
東眺西望(三十一) 歴史の語り継ぎ――趙安博
東眺西望(三十)  膝を交えて改革論議――張香山
東眺西望(二十九) 皇族から庶民へ―溥傑
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東眺西望(二十五) 鄧小平訪日随行随想(その二)
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東眺西望(二十二) 八路軍の少年兵と八木寛さん その二
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東眺西望(二十) 北京放送局の庭の桜
東眺西望(十九) 「誠心誠意」が生んだ麺食いの本
東眺西望(十八) 中国飲酒マナー俗説と日本
東眺西望(十七) 大晦日の夜のセレモニー
東眺西望(十六) 北京の地下鉄の駅名に思う
東眺西望(十五) 夏衍

東眺西望(十四) 夏の甲子園
東眺西望(十三) 宇都宮徳馬
東眺西望(十二) ある「本」の話
東眺西望(十一) 卵・玉子・たまご・タマゴ
東眺西望(十) 孫平化
東眺西望(九) 「まあ まあ」&「どうも どうも」
東眺西望(八) 北京「鰻丼」食べ歩る記
東眺西望(七) 井上靖
東眺西望(六) 廖承志
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東眺西望(四) 北京飯店509号
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東眺西望(二) 徳は孤ならず 必ず隣有り
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