――ちょっと話したい話――
大晦日の夜のセレモニー
中国東北地方の一寒村で春夏秋冬を送ったころの筆者(前列中央)
わたしは一九六五年の大晦日を、朝鮮との国境に近い中国・東北地方の一寒村で迎えた。中国の農村を知り、農民を知ろうと、ここで農民と同じ屋根の下に住み、同じ仕事をし、同じものを食べるいわゆる「三同」の生活をしていたのだ。
中国では、お正月を「春節」といって旧暦で祝う。私の住んでいた村でも、新暦の大晦日であるこの日はまったく平日通りで、ごくごく静かにすべてが動いていた。その日が大晦日だと気がついたのは、灯油ランプを消してオンドルに横になってからだった。
「そうか、今日は大晦日だったのか」。寝床の中でそう思うと、行く年のあれやこれやが走馬灯のように頭をかすめ、来る年のあれやこれやに希望がふくらむ。
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同じ屋根の下、1メートルほどしか離れていない向かいのオンドルから聞こえてくる王おじいさんと張おばあさんの心地よい寝息をバックミュージックに、頭に浮かんだ行く年の最大事は、大都市の北京を離れてこの一寒村に来たことだった。「中国の農村を、農民を知らない者に、中国を語る資格はない」と言った先輩の言葉が、わかりかけてきた数ヶ月だった。
慣れない農村での暮らしだったが、王おじいさん、宋おじいさん、張おばあさん、馮さん、劉さん、江さん・・・・・・、村の人たちのやさしい心に包まれて、なんとか無事に過ごしてきた数ヶ月だった。あれやこれやの失敗を繰り返しながら・・・・・・。本当にありがたいことだ。、村の人たちのやさしい心は、一生忘れられないだろう。
ここで私がお世話になっていた農家の王おじいさんのつれ合いの張おばあさんは、自分の息子のように私を大事にしてくれた。
ここの冬は膝までの深い雪に覆われ、零下三、四十度という日もあったが、張おばあさんはいつもオンドルの一番暖かいところに私の布団を敷いておいてくれた。
春になると、張おばあさんは雪の残る山に登って、ワラビを摘んできて、自家製の味噌を添え、朝食に出してくれた。「おいしい」と言うと、山にワラビが無くなるまで、毎日、毎日、ワラビの味噌あえを食べさせてくれた・・・・・・。
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