小澤征爾の魅力
小澤征爾さんほど、中国の民衆のあいだで好感度が高い外国人は少ない、なぜだろうか。小澤さんが中国東北地方の瀋陽で生まれ、北京で少年時代のひとときを過ごしたということもあるだろう。だが、決してそれだけではあるまい。
小澤征爾in北京
小澤征爾さんの1978年の北京訪問、クライマックスは6月12日の北京体育館での指揮小澤征爾・演奏北京中央楽団の音楽会、小澤さんのタクトが止まり、最後の曲が終わると、一瞬会場は水を打ったように静まり、一拍おいて一万八千人の観衆の文字通り嵐のような拍手が、一陣一陣と湧きあがった。一万八千人の人々のさまざまな思いが込められた拍手の交響楽、それは「小澤さん、ありがとう」という一つの流れとなって長く長く続いた。
1976年、「四人組」が倒れた。十年にわたる「文化大革命」が終わり、暗い日に終止符が打たれた。明るく、豊かな明日に向かって第一歩を踏みだした中国の民衆には、復活したばかりの未熟な北京中央楽団を前に全身全霊を傾けてタクトを振る世界の巨匠小澤征爾さんの姿が、自分たちを暖かく、力強く励ます良き仲間として映ったのだ。会場で取材していたわたしにはそう感じられた。
このクライマックスには、それなりの前奏曲があった。十年続いた「文化大革命」に終止符が打たれた次の月、つまり1976年の11月、小澤征爾さんはこの日を待っていたように母上の手を引いて少年時代のひとときを送った北京を訪れている。
この旅で小澤さんは、中国の音楽教育の最高学府である中央音楽学院をベースにして、中国の音楽仲間との交流の輪を広げた。北京の庶民の朝食であるお粥を啜り、油条(棒のように伸ばした小麦粉を油で揚げたもの、北京の庶民の朝食に欠かせない)を食べ、ここの教師や学生と運動場で遊んだり、一緒に餃子をつくり車座になって頬張りながら音楽を論じたり……、名のある指揮者やピアニストもこの輪に仲間入りして「餃子会」をたちあげ、いまも交流を続けていると聞く。
こうした交流のなかで、毎日小澤征爾さんを感動させるものがあった。オンボロの楽器にもへこたれず、目を輝かせて西洋音楽に挑戦する中国の青年の姿、胡弓、琵琶といった中国の楽器で誇らしげに胸を張って「二泉印月」(泉に映える月)など中国の民間音楽を演奏する中国の青年の姿……。
こうした中国の青年からもらった感動は小澤さんが描いている夢――「中国人や韓国人を含めてクラシック音楽の伝統のない東洋人が、それを逆手にとれば、いい伝統だけを受け取った新しいアプローチができる」という夢を大きく膨らませたようだ。そして、これが二年後の北京体育館のクライマックスに繋がっていたのではないだろうか。
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