(十二)ある「本」の話
――ちょっと話したい話――
「日中文化交流」創立五十周年記念特集(封面)
日本の日中文化交流協会の月刊刊行物『日中文化交流』の同協会創立五十周年記念特集(二〇〇六年二月二十三日号、以下略「記念特集」)、本来の意味での「本」ではないかもしれないが、その内容にはそこらの本よりもずっとずっと重みと厚みを感じるものがあり、わたしは立派な本だと思っている。
この百ページの「記念特集」、なにがわたしを引きつけているのだろうか。そこには、いささかの私利私欲なしに、五十年にわたってひたすら日中文化交流に汗を流し、知恵を絞ってきた日本の文化人の姿を映した写真がふんだんに載っており、この人たちの活躍の記線がたんねんに記されているからだ。五十年のあいだに、お世辞にも大きいとはいえない―民間団体が、これほど多くの、これほど幅広い日中文化交流を積み重ねてきたことは、奇跡に近い創拳だといえよう。
――品格ということば――
「記念特集」の4ページには、一九五六年に八十人のメンバーで出発した当時の役員の名前が記されている。中島健蔵理事長のほか、梅原龍三郎、川端康成、茅誠司、木村伊兵衛、久保田万太郎、佐藤春夫、千田是也、武田康淳、谷崎潤一郎、南原繁、松村謙三、山田耕筰……と続く、堂々としたものである。まさに、日本の品格を代表した顔ぶれだといえよう。
谷崎潤一郎日中文化交流協会顧問(左二)は箱根で京劇の名優梅蘭芳さんと31年ぶりの再会を果した(1956年7月5日――中島健蔵初代理事長撮影)(P5)
初めての新劇訪中公演、歓談する(右から)夏衍、岸輝子、田漢、杉村春子の諸氏――1960年10月、北京――(P3)
この品格は、あれからの五十余年、日中文化交流協会の歴代の指導者、事務局の人たち、いろいろの感性や思想を持った幅広い会員の誠実、熱情、英知、献身に支えられて、文化という国境のない舞台で、代々受け継がれ、発揚され、輝きを放ってきたのだ。
日活撮影所で歓談する石原裕次郎(左二)吉永小百合(右二)、司徒慧敏(左一)、秦怡(右一)ら中日の映画人(1962年4月25日東京)(P17)――写真は、すべて「日中文化交流」創立五十年記念特集より
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