昨今の外国に行く中国の記者はみな仕立のいい背広、個性のあるネクタイ、足もとをみると靴は十人十色、そして性能のいい小さなカメラ、ビデオ、録音機、ノートパソコン、携帯電話……この大きな変化は、改革開放の三十年の中国の様変わりの一端を示す一つの風景だともいえよう。
わたしは、鄧小平同志の一行より五日ほど早く東京に着いた。一足先きに来て日本各界の鄧小平訪日の反応を取材し、またNHKと衛星中継の具体的な段取りの打ちあわせをするためだった。
日本の財界、政界、学界、文化界、在日華僑、台湾同胞などの取材の合間を縫って、街頭にでて、市民の声も聞いてみた。
スーパーに買いものに来たおばあさんは「日本は、中国といちばん仲良くしなければいけませんよ。その中国からの遠来の客、大歓迎です」と声を弾ませて話していた。あの戦争を体験した人の心のことばだろう。
消防士だという青年は「隣の国からやって来た指導者、仕事を休んでも歓迎に行きたいですね。まあ、テレビを必ず見ますよ。いまいちばん行ってみたい国は中国です。友だちと中国旅行の相談をしています」と明るい声で話していた。
大学で中国語を勉強している女子学生は「わたしの夢は中国留学です。鄧小平副総理の来日でこの夢の実現が一歩近づいたようです。嬉しいです。熱烈歓迎です」と話していた。
その詩が歌になってテレビ、ラジオ、CD……で広く紹介され、その詩が詩集になってベストセラーに選ばれ日本の民衆に広く親しまれている女流詩人江間章子さんは、北京放送のインタビューに答え、秋の陽が明るく差し込む自宅の応接間で、鄧小平副総理を歓迎する自作の詩「よろこびのうた」を心を込めて朗読してくれた。
よろこびのうた
鄧小平副総理一行を東京に迎えて、一九七八年一○月二十三日、平和友好條約の批准書交換が行われた
江間章子
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