―テレフォン句会―
日本の大作家井上靖さんと差しで話したあの満ち足りた四時間、あれから二十余年の歳月が流れた。わたしは古稀を迎え、さらに喜寿を迎えた。自然の掟であろう、あれやこれやと病気とお付き合いするようになった。入院したり、手術をしたり……、二十余年前にはまったく考えもしなかったようなこととぶつかり、悩み焦りただただ「俺、俺」で、まわりの人にわがままに振るまったりすることもあった。
ご自分の詩集『傍観者』のとびらのページに「わたしがいまよく考えていることばです」 と言って書いてくださった孔子のことば
こうしたある日、ふと頭を掠めたのが上述の井上さんの春の光、春の心のお話だったのだ。わたしは目を閉じ、あの日の井上さんのお宅での一齣一齣を静に思いおこし琴線に触れるというか、目から鱗が落ちる思いがした。
そのころから、わたしは回りの人や、事物、自然……に、わたしなりの春の心を注ぐようになった。自分の病気にも春の心で向いあい、次第に明るさを取りもどすようになった。そうした心を綴る俳句を作るようになった。やはり病気を患っている仲間と誘いあって電話で俳句を交換しあうテレフォン句会を楽しむようになった。お互いに井上さんのいう春の心で支えあい、励ましあって老いの日を静に楽しんだりした。春の心は、わたしにとっての最高の良薬だと思うのだ。
自宅書斎で執筆中の井上靖さん
振り返ってみれば、二十年前に井上さんから春の光、春の心のお話しをうかがった当時のわたしは元気一杯、病気知らずの働き盛り、井上さんの話の春の光、春の心、文字で聞いていていただけて、心で聞いていなかったようだ。
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