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(二)徳は孤ならず 必ず隣有り

田中角栄首相と握手を交す毛沢東主席。
1972年9月27日、北京中南海の毛主席の書斎、毛・田中会談の一齣(ひとこま)
       写真は「人民中国」より

  一九七二年の中日国交正常化のさいの毛沢東・田中角栄会談 での話だ。田中首相が毛さんに大平正芳外相を紹介すると「大平」という二字を耳にした毛さんは、「太平」にかけて「天下泰平」とニコニコ顔で言った。まわりから笑い声がおこり、緊張していた田中首相の顔にも笑みが浮かぶ。この会談の通訳を務めた王効賢さんと林麗韞さんの話によると、毛さんのこの一言で中日双方の出席者の緊張はほぐれ、一時間におよぶ会談は、終始、和気藹藹とした雰囲気のなかで進められたという。

 毛沢東さんは、人の姓名にとても興味があるようで、よく相手やまわりの人の姓名にかけたジョークを飛ばしたりして、その場の雰囲気をやわらげるという「特技」をもっていたようだ。多くの人がその回顧録でこのことにふれている。

 こんな話もある。毛沢東さんが日中友好協会の役員をしていた三好一さんと会ったときのことだ。「三好一(サンハァオイ)」という中国語の紹介を耳にした毛さんは、「ほう、三好(サンハァオ)、あなたの三好はなんですか」といったという伝説がある。これは「証人」も「証拠」も見つからなく、いまのところ伝説だが、大いにあり得る話だと思う。というのは、毛沢東さんはよく「三好(サンハァ)」、つまり三つの優れた点というように問題を概括するからだ。例えば、青年・学生には「身体好、学習好、工作好」という「三好」の要望をだし、また養老院のお年寄には、「吃(よく食べ)、玩(よく遊び)、睡(よく眠る)」という「三好」の要望をだしているのだ。そんなわけで、三好一さんの姓を聞いたとき、咄嗟に上述したようなジョークが飛びだしたとしても、不思議ではないと思うのだ。

日本の作家藤森成吉さん(左)と握手を交す毛沢東さん(右)。1961年10月7日、北京中南海、()は通訳をする劉徳有さん

  毛沢東さんと姓名といえば、中日両国語の達人、中国の名通訳、のちに文化部副部長(文化次官)になった劉徳有さんから、こんな話を聞いたことがある。

 劉さんが毛沢東さんの通訳をしたときのことだ。お客さんが来る前のひととき、毛さんから「君の名前は?」とたずねられた。劉さんが「劉徳有です」と答えると、毛さんは顔をほころばせながら「ほう、徳有、徳は有るかね」と言葉を続けた。劉さんは「有る」とも言えず、「無い」とも言えず戸惑っていると、傍らにいた趙安博さん(元中日友好協会秘書長)が「好青年ですよ」と助け船をだしてくれたというのだ。

 ところで、劉徳有さんに「徳有」という名前をつけてくれたのは、故郷である中国東北地方大連の寺小屋の山東からきた老先生で、孔子の「徳は孤(こ)ならず 必ず隣(りん)有り」(徳不孤 必有隣)ということばから採ったものだそうだ。  劉さんとは、政治協商会議の全国委員をしていた十年のあいだ同じグループ(対外友好界)だったので、会議のときにはいつもお隣に座って、いろいろ教えていただいた。

劉徳有さんに書いていただいた孔子のことば「徳不孤必有隣」(このエッセイのタイトル――徳は孤ならず必ず隣有り)

 びっくりしたのは、劉さんが実に顔が広いことだ。廊下を歩いていても、食事をしていても、会議の休憩時間にも、たくさんの人が劉さんに挨拶するのだ。そして、わたしが知りあいになったほうがいいような人が挨拶すると、劉さんは兄貴が弟に知人、友人を紹介するように傍らのわたしに優しく紹介してくれるのだった。  そんなわけで、劉さんから「徳有」という名前の由来を聞いたわたしは、「さも有りなん」と思った。「徳は孤ならず 必ず隣有り」――徳、くだいていえば劉さんの人柄には人を引きつける魅力があり、おのずからまわりに人が集ってくるのだろう。つまり「必ず隣有り」なのである。要するに、劉徳有さんの徳有は「名」「実」ともに具わった徳有なのだ。

 ちなみに、劉徳有さんから名前の由来を聞いてしばらくしたある日のこと、こんなことがあった。雑誌のページをめくりながら、ラジオを聞いていたわたしの耳に、ふと「徳は孤ならず 必ず隣有り」という例のことばが入ってきたのだ。雑誌から目を離しラジオに聞き入る。中国の外交をとりあげた解説で、品格があり、説得力のある話だった。わたしは大きくうなずき、「徳は孤ならず 必ず隣有り」とつぶやきながら、また雑誌のページをめくり始めたのだが、解説のなかの「徳は孤ならず 必ず隣あり」という言葉が頭を離れず、雑誌の文字には目が走らなかった。そして思うのだった。中国の外交には、いつでも孔子のいう「和を貴(たっと)しと為(な)す」(和為貴)、「徳は孤ならず 必ず隣あり」(徳不孤 必有隣)、「言必ず信あり 行(おこ)ない必ず果(はた)す」(言必信 行必果)といった考えが、その底流に流れているのだと…。話がだいぶ飛躍してしまって失礼!

(文責:李順然)

 

作者のプロフィール
 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。
紹介した『東眺西望』
• 東眺西望(一)
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