中国からのお客さんを迎える日本の子供たち(前に立っているのは筆者
甲子園紙上観戦記
北京に帰ってきてからは、テレビではなく日本から届けられてくる新聞・雑誌で甲子園の高校野球を「観戦」している。
去年(2010年)の圧巻は沖縄勢の初優勝、興南が全国参加4028校の頂点に立ったことだ。沖縄での第1回全島高校野球大会が開かれたのは敗戦の翌年の1946年だったそうだ。20万余の犠牲をだした沖縄戦の傷跡が残る島には硬球はなくソフトボールで、ベース間の距離を縮めて試合を行ったという。
あれから60余年、沖縄健児たちは艱苦奮闘を繰り返し、とうとう深紅の大旗を手にしたのだ。
優勝を決めてマウンドで抱きあう興南のバッテリー島袋と山川の二人の大きな写真、日焼けした顔とニッコリ笑う白い歯、底抜けに明るい。
こうした明るい笑顔を持つ若者は日本にもいる。中国にもいる。世界にもいる。われわれ、あの戦争を体験した二十世紀人はこうした二十一世紀の若者になにを遺すのか、なによりもまず戦争のない平和な二十一世紀だろう。わたしは島袋、山川両君の大きな写真を前にしてつくづくそう思い、そんな思いでこの雑文の筆を執ったのだ。
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