話を井上靖さんの家の客間にもどそう。
井上さんは「ちょっと一休みしよう」と言っておみせしたわたしのサインブックのページをめくった。そこに現れる友人一人一人の題詞に懐かしそうに目を通した。
廖承志さんの愛犬MOKOのスケッチをみて、井上さんは「廖さんは本当に多芸多才な方ですね」と言った。趙朴初さんの「積健為雄」の四文字には大きく頷き、「素晴らしい。気品に溢れている。やはり宗教家ですな」と言った。そして、「じゃあ、わたしも一筆書かしてもらいましょう。こうした方々にはとてもかないませんが」と言って筆を執った。
たっぷり墨を浸した筆で、ゆっくりと一画一画「養之如春」と書いてくださった。井上靖さんの話によると、この四文字はよくお正月に書くそうで、「万事急ぐことはない。春の光、春の心が万物を育てるように焦らずゆっくりやればおのずから事は成る」といった意味があるそうだ。
わたしは思った。井上靖さんと中国の作家たちのあいだの誼しみも、きっとこうした春の光、春の心にはぐくみ育てられたのだろうと。
満ちたりた四時間近い語らい、いつの間にか春の陽は西に沈み始めていた。おいとまを告げると、井上靖さんは立ち上がって本棚から一冊の本を取り出し、わたしにくださった。詩集『傍観者』だ。「そうだ。ここにも一筆書きましょう」と言って、その扉のページに太いペンで「死生命あり富貴天にあり——孔子」と書き署名した。そして、「いま、わたしがよく考えていることばです」と言い、このあと「天命」ということばをめぐって、いろいろお話を聞くことができた。
「人間、何でもできるものではありません。そこには天命というものがあります。しかし、人間はそのなかで力を尽くさなければなりません。これが人間の道でしょう」——井上靖さんは、こう話されていた。
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