北京放送を聞くよう廖承志さんに頼んだ
1972年の初夏のある日、わたしは北京西単の民族飯店に行った。そこでばったり廖承志同志に出会った。
廖公はわたしを手招きソファの傍らに座らせ、北京放送の日本語番組のことをいろいろたずねた。ときどきユーモアを交えて30分ほどお話しした。
次のスケジュールが始まるというのでお別れしようとすると、廖さんは待て待てと両手を拡げ、わたしを座らせ、まじめな顔になってゆっくり言った。
「今の対外宣伝は内外を分けない傾向が厳重だと聞いている。この問題は必ず解決しなければならない。一歩一歩解決していくべきだ。周総理から、北京放送を聞いて報告するように言われた。」①
そのころ、「文化大革命」の勢いはいくらか下火になっていたが、まだまだ「四人組」の天下、こうしたなかで周総理と廖公がこんなに北京放送に関心を寄せてくれている。わたしは嬉しくて涙が出そうだった。
廖公と固い握手を交して民族飯店を出ると、街は初夏の明るい太陽に輝いていた。新緑から万緑に向う街路樹の緑が美しかった。
バスを待つのももどかしく、わたしは足早に歩きだし放送ビルに向った。一刻も早く、いま廖公と二人でおくったこの風景を、廖公の語った一言一句を仲間たちに伝えたい。この喜びを仲間たちと分かちあいたいと・・・・・・。
①廖承志氏は日本語と英語が達者で、ドイツ語とフランス語もできる。
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