中日同席飲酒マナー
中国を訪れた日本人が、中国側ホストの熱情溢れる白(バイ)酒(ジュウ)の乾杯攻勢にあってダウンしてしまったという話は、以前よく耳にした。わたしのまったくの独断だが、ここには「二つ」の「相互理解」不足があったように思う。一つは、日本人は白酒の強さをあまりしらなかった。一つは、中国人は日本人(すべてではない)が酒に弱いことをあまり知らなかった。この数年、中日双方たがいに杯を交すなかで、この面の「相互理解」は大いに深まった。そして、その上にたった中国人と日本人の間の新しい飲酒マナーが確立されつつあり、ダウンする日本人は激減し、宴席はなごやかな中日友好の場になっている。新しい飲酒マナーの齣をスケッチしてみよう。
――中国側のホストが杯を手にニコニコ顔で日本人の前に歩み寄せる。そして杯を挙げて乾杯。ここでホストは日本人の顔をみながら「随(スウィ)意(イ)、随(スウィ)意(イ)」(どうぞ、どうぞ、ご随意に)となごやかに言う。乾杯できるなら乾杯、無理なら一口だけ、それも無理なら杯に口を付けるだけ、それでも無理ならジュースで乾杯、どうぞご随意にというわけだ。ここで肝要なのは、日本人側がニコニコ顔で、しかしはっきりと自分の意志、つまり上述のどれを選ぶかを表明することだ。
こうして、宴席全体に「随意、随意」の雰囲気が溢れ、和気藹藹、楽しいひとときを送ることができるわけだ。「随意、随意」は相互理解の上に築かれた一つの立派な文化だと思う。なにごとも相互理解が必要で、それには一つの過程、ときには右余曲折の長い過程が必要なのだ。
わたしの飲酒歴
在日華僑二世のわたしが酒を飲み始めたのは、日本の大学一年、十九歳のとき、酒は日本酒その翌年に中国に帰ってきた。そして、中国酒遍歴の旅は六十年続く。現在は体調を崩し停酒中だが、いささかも禁酒の気持ちはなく、ひたすら復活の日の楽しい夢を見ている。
酒は好きだが量は幕下級だ。一二回スレスレのところまでいったが、孔子のマナーを破ったことはなく、まだ守り続けている。よい酒を楽しんできた。
贔履の酒は『三国志』の曹操の故郷安徽省毫県の「古井貢酒」、ちょっと泥臭いというひともいるが、わたしは田園のによい香りだと心得ている。
日本にも「古井貢酒」の熱烈なファンがいた。中日友好に力を尽くした自民党の元老古井喜実さんだ。古井さんは自宅にも、事務所にも「古井貢酒」を用意していて、これで客をもてなしていた。「古井貢酒」が「曹操貢酒」と名を変えるかもといううわさを耳にした古井さんは、早速「古井貢酒」の本社に手紙をだして「老舗の看板は変えないでほしい」とたのんだと聞く。
あの世の古井喜実さん、安心してください。「古井貢酒」は健在、いまも北京のデパートやスーパーの酒のコーナーで、「茅台酒」「五糧液」といつだ名酒と肩を並べて、「古井貢酒」という化粧回しで堂堂と土俵入りしていますよ!
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