(六) 廖承志
―ちょっと話したい話―
―わたしのサインブックから―
だいぶ前の話だが、北京の中心にある中日友好協会の展示館で、日本の箱根の老舗ホテル小湧園に泊った中国各界の人たちが芳名帳に残した題字や署名などを展示した催しがあった。亡くなられた方のものも多く、観る人に深い感銘を与えたと新聞は伝えていた。
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廖承志さんからいただいた小犬の絵とサイン |
新聞のこの記事を読んでいて頭に浮かんだのは、家の棚に仕舞ってあるわたしのサインブックだった。わたしが北京放送の記者をしていたころ、取材などでお会いした方々からいただいた題字や署名が記されている。
このサインブック、家の戸棚に仕舞い込んでわたし一人のものにしておくのはもったいないな、と思ったのだ。そこで、「東眺西望」のコーナーを借りて、折々に紹介してみようかなと思ったのである。
―東京生れの廖承志さん―
まず登場するのは、「廖公」と呼ばれてみんなから敬われ、親しまれた廖承志さんからいただいた小犬の絵と署名だ。
廖さんは俗ないい方をすれば「中国の偉い人」の一人だ。1983年6月10日、享年75歳で亡くなられたが、当時は中国共産党中央政治局委員、全国人民代表大会副委員長、中日友好協会会長などの要職にあった。近日中に中華人民共和国の国家副主席に任命されることが内定されていた矢先の死だった。
廖承志さんは1908年に東京の大久保で産声をあげた。両親はのちの中国国民党左派の元老廖仲愷・何香凝、当時日本に留学に来ていた。
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