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『独断!中国関係名著案内』ーー高島俊男著(東京‧東方書店) | あと三百日、二百日、百日と数えて待った上海万博も五月一日開幕、「上海市民は何かお正月を指折り数えて待つ子供のようにウキウキしているよ」――これは上海取材から帰ってきた北京人王君が羨ましそうに語った言葉だ。
ところで、この国際都市上海で暮らす日本人は、いまや数万人とも言われているが、過日、高島俊男さんが書いた『独断!中国関係名著案内』(東京‧東方書店)という本を読んでいて、ちょっと驚いた。なんと百七十年も昔に上海市民となった日本人がいるのだ。この人の名前は音吉、なにせ明治維新前の話、姓はない。高島さんが書いたこの本から借用して、音吉さんがいつ、なぜ、どうやって上海市民になったのかを、かいつまんで紹介してみよう。
音吉さんは、尾張国知多(ちた)郡(ごおり)小野浦村(現在の愛知県知多郡美浜町小野浦)の人、ときは天保三年十月(一八三二年十一月)、宝順丸という船の乗組員として鳥羽港から江戸に向かっていた。音吉さんは十五歳前後、炊事係だったようだ。ところが、この宝順丸、悪天候で難破し、なんと十四ヶ月も流されて、ついたところは、またまたなんとなんとカナダ西岸のフラッタリー岬附近、十四人の乗組員のうち、生き残ったのは音吉さんら三人だけ、よくまあがんばって生き抜いたものだ。
音吉さんら三人は、ここの原住民に捕えられ働かさせられていたが、数ヶ月後にイギリス船に救出され、一八三五年六月にロンドンに着く。そこからインド洋を通って、この年の年末にマカオに到着。地球をひとまわりしたわけだ。そのころ、欧米人に救出された日本人漂流民はマカオに送られ、ここから日本に送還されるようになっていたようだ。
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