作者小伝では「病弱で辞職」と書いたが、このほかにも理由があったようだ。上述の詩で省略した冒頭の部分でも「中秩無(思ったような俸禄がもらえず)」「帰耕(田舎に帰っ田畑を耕す)」といった文字がみられる。いずれにしろ、盧照隣の生きた髙宗(李治)の時代は、善政といわれた太宗(李世民)の「貞観の治」の継続で、「永徴之政」と呼ばれ、太宗からの遺言という形で髙句麗とは停戦し、人口はひきつづき増え、経済もさらに栄えた。この詩からは、髙宗の「永徴之政」で、活気に溢れる唐王朝の姿がうかがえる。
・わたしの漢詩歳時記ー二○一二年三月中旬・わたしの漢詩歳時記ー二○一二年三月上旬・わたしの漢詩歳時記ー二○一二年二月下旬・わたしの漢詩歳時記ー二○一二年二月中旬・わたしの漢詩歳時記ー二○一二年二月上旬・わたしの漢詩歳時記ー二○一二年一月下旬・わたしの漢詩歳時記ー二○一二年一月中旬・わたしの漢詩歳時記ー二〇一二年一月上旬・わたしの漢詩歳時記ー十二月下旬・わたしの漢詩歳時記ー十二月中旬・わたしの漢詩歳時記ー十二月上旬・わたしの漢詩歳時記ー十一月下旬・わたしの漢詩歳時記ー十一月中旬・わたしの漢詩歳時記ー十一月上旬・わたしの漢詩歳時記ー十月下旬・わたしの漢詩歳時記ー十月中旬・わたしの漢詩歳時記ー十月上旬・わたしの漢詩歳時記ー九月下旬・わたしの漢詩歳時記ー九月中旬・わたしの漢詩歳時記ー九月上旬・わたしの漢詩歳時記ー八月下旬・わたしの漢詩歳時記ー八月中旬・わたしの漢詩歳時記ー八月上旬・わたしの漢詩歳時記ー七月下旬・わたしの漢詩歳時記ー七月中旬・わたしの漢詩歳時記ー七月上旬・わたしの漢詩歳時記ー六月下旬・わたしの漢詩歳時記ー六月中旬・わたしの漢詩歳時記ー六月上旬・わたしの漢詩歳時記ー五月下旬・わたしの漢詩歳時記ー五月中旬・わたしの漢詩歳時記ー五月上旬