清代に書かれた北京の歳時記『燕京歳時記』には「北京の五月には石榴の花開く、鮮明なること眼を照らすばかりなり」と書かれている。ここでいう五月は、韓愈の詩の冒頭の「五月」と同じで、親歴の六月を指す。 この石榴と夾竹桃を並べて、そのあいだに魚(ユイ)缸(ガン)(金魚を放つ陶製の大きなかめ)を置くのは、北京の夏の庭造りの一つのスタイルだ。「金(ジン)魚(ユイ)」の中国語の発音が「金(ジン)余(ユイ)」と同じで裕福に通じ、「石榴」は実が多いところから「子宝」に恵まれると縁起を担いだのだろう。その名残りか、庭のない団地住まいになってからも、部屋に盆裁の石榴と金魚鉢を置く人もいる。 こうした縁起担ぎもあるだろうが、やはり石榴の花の紅(くれない)と葉の緑(みどり)の織りなす色のコントラストの美しさに人々が魅せられたのだろう。韓愈の詩の結句の「蒼苔(そうたい)」と「絳(こう)英(えい)」のコントラストは絶妙である。
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