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(十五) わたしのサインブックから⑤ 夏衍

――ちょっと話したい話――

 中日友好協会の会長をされたこともある夏衍さん(一九〇〇年~一九九五年)は、青年時代の七年間、日本に留学し、明治専門学校(現在の九州工業大学)、九州帝国大学などで学び帰国後はシナリオ作家として文化界で活躍。中日全面戦争が始まると『救亡日報』、『新華日報』などの主筆として抗日の論陳を張った。

 中華人民共和国誕生後は、映画『祝福』などの名シナリオを書く一方、文化部副部長(次官)などを歴任した後、中日友好協会の会長となった。

 一九〇〇年生まれ、一九九五年没――夏さんは文字通り、二十世紀の中日関係を見守ってきた歴史の証人だった。

 夏さんが生前、とりわけその晩年に、繰り返し強調したことがある。冷静かつ科学的な日本研究を進めなければならないということだ。

 夏さんが、こうした考えを強くしたのには、一つのきつかけがあったようだ。夏さんは、その著『日本回憶』(東京・東方書店)の自序で次のようなことを書いている。

 ――第二次世界大戦の末期、重慶にいた夏さんら日本に留学したことのある、いわゆる「日本通」の友人たちは、日本は『ポツダム宣言』を受け入れないだろう。無条件降伏はしないだろうと、話しあっていた。ところが、ちょうどそのころ、日本語も話せず、日本に行ったこともないアメリカの文化人類学者、ルース・ベネテイクト(『菊と刀』の著者)は『日本はポツダム宣言』を受け入れるだろうという報告をアメリカ政府に提出している。

 ベネディクトの判断は正しかった。なぜだろうか。夏さんは、その原因としてべネデイクトが文化人類学という科学を踏まえて、日本を科学的に分析したことをあげ、われわれにはこうした科学的な態度が欠けていたと反省している。

 そして、『日本回憶』の自序の最後を、「(中日両国民は)今こそ、冷静になって、心から真摯に理解を深めあうべき時だ」と結んだ。

 夏さんは、一九九〇年に発足した日本研究の中国の全国的学術団体である中華日本学会の名誉会長に推された。夏さん九十歳の時のことだが、その成立に際して夏さんは「百年来、科学的な方法で日本の国民性、民族性を研究した人は極めて少ない」と述べ、日本の諸問題を科学的な態度で、さらに深く研究するよう訴えた。これは、二十世紀の中日間の狭間にあって生きた、誠実な中国の知識人が、二十一世紀に残した貴重な遺言だといえよう。冷静な、科学的な態度で相手の国民性、民族性を深く研究して、初めて相互理解を深め、真の友好を築くことができる、と語りかけているのである。

追記:

 取材で北京の夏衍さんのお宅を訪れたことがある。胡同(横丁)の奥の平屋で四合院(北京独特の造りの平屋)だったかどうかは覚えていない。客間とおぼしき部屋に案内されて、ちょっと意外だった。中国映画人協会会長、中国ペンクラブ副会長、映画「祝福」や「林家舗子」といった名作のシナリオ作家、文化次官……などなど「派手」な肩書きには似合わない素朴な感じの部屋だったのだ。ごくごく普通の木の椅子と机、本棚、インテリアらしきものは見当たらなかった。

 この木の椅子に座ったわたしは、なにか山の中の寺小屋のせせらぎが聞こえてくるような静かな部屋で、老先生と向いあっている学生のような感じに包まれていた。夏衍さんはここでも日本研究について、ひとこと、ひとこと、ゆっくりと次のように話してくれた。

 「中国と日本はお隣同士、数千年も交流してきた。だが、お互いに理解しあっているかというと、そうでもない。お隣同士、あれやこれやのいざいざがあるのは、古今東西いずこも同じ。こうしたいざいざを防ぎ解決する大切なチャンネルは相互理解。中国と日本の研究者は、冷静な、科学的な態度で相手国の各方面を研究して、相互理解に役立っているべきだ」

 中国知日派の大元老として、夏衍さんはこう語り、こう実行してきた。わたしが取材した時の夏衍さんは八十五歳、それでも日本をよりよく知るために毎朝欠かさずNHKの放送を日課として聞いているとのこと、この姿勢に感銘した。

 夏衍さんはわたしのサインブックに「堅持両分法、更上一層楼」(『好い点と悪い点とをはっきり自覚し、更に前進しよう』――この訳は夏衍さんの言わんとしていることを十分に現していないわたしの主観的拙訳、もっと深い哲学的な意味があると思う)と書いてくださった。そして「これはわたしがわたしに出している口号(スローガン)だよ」と笑いながら言った。

 「文化大革命」では、その傷痕が深く残るほど、身体までを痛めつけられるひどい仕打ちを受けながらも、こうした暴力に屈せず、真実を守り通した夏衍さんが、静かに語る一言一句、冬の陽が窓からやさしく射し込む夏衍宅の客間で、わたしは何度も深くうなずきながら傾聴し、心が洗い清められるような感動を覚えた。そして、こうしたかけがえのない貴重な機会を与えくれる記者生活をしてきて、よかったなあとつくづく思うのだった。

作者のプロフィール
 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。
紹介した『東眺西望』
  • 東眺西望(十四)
  • 東眺西望(十三)
  • 東眺西望(十二)
  • 東眺西望(十一)
  • 東眺西望(十)
  • 東眺西望(九)
  • 東眺西望(八)
  • 東眺西望(七)
  • 東眺西望(六)
  • 東眺西望(五)
  • 東眺西望(四)
  • 東眺西望(三)
  • 東眺西望(二)
  • 東眺西望(一)
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