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北京「鰻丼」食べ歩る記

 

――ちょっと話したい話――

 

 とても暑い日だった。働くのもいやだと、うちわ片手にベットに横になり、日本にいる友人から送られてきた雑誌を拾い読みしていた。

 日本のウナギが2200キロも離れたマリアナ諸島あたりまで飲まず食わずで産卵に行くという記事があった。すごいもんだなあと思った。そういえば、そろそろ土用の丑の日じゃないかなとも思った。そして、夏バテ防止、鰻を食べにいこうと思ったのである。わたし流の連想ゲーム的発想だ。

ーー麦茶の香りーー

 善は急げ、早速茶飲み友だちの楊哲三君に電話して誘ってみた。「OK!」。二人は、1900年創業の北京の老舗ホテル、五つ星の北京飯店の二階にある日本料理屋「五人百姓」に足を運んだ。

北京飯店二階の日本料理屋「五人百姓」の前で。楊哲三さん(左)と筆者

 席に着くと、和服姿の中年の仲居さんがおしぼりとお茶を持ってきてくれた。まずお茶を一服、楊君とわたし、異口同声というのだろう、弾んだ声で「麦茶だ!」と静かに叫んだ。

 麦茶、その香りと味は、わたしたち二人を六十年も七十年も昔の日本での少年時代に誘(いざな)ってくれたのだ。というのは、楊君もわたしも在日中国人二世、ともに日本で生まれ、少年時代のひとときを日本でおくり、夏の暑い日は、汗だくだくで遊び疲れては、この麦茶で喉を潤おした共通の記憶を持っているのだ。

―― 鰻丼の味 ――

 「旨いなあ!」、これも異口同声だった。帰国後の半世紀余、二人は同じ北京に住み、仕事場こそ違うが、ともに日本語を使う仕事(楊君は北京発行の日本語月刊誌『人民中国』社、わたしは北京放送の日本語部)をして、なにかにつけ友情を交しあってきた仲間だ。俗にいうつうと言えばかあ、気心が知れた知音なのだ。麦茶を潤滑油に、鰻重を肴にした二人の差しの話しあいは、時間がたつのも忘れさせる豊かで愉(たの)しいひとときだった。二人は、これからもときどき、北京の五つ星ホテルのなかの日本料理屋で鰻を食べようと約束して別れた。

―― 鰻丼ベストスリー ――

 そのご、楊君とわたしは二、三ヶ月に一回というテンポで、この鰻丼食べ歩きを続けている。廻った店がまだ十軒にも満たないので、ベストテンを選ぶわけにはいかないが、ベストスリーについては、楊君とわたしの意見は完全に一致している。

北京新世紀日航飯店三階の日本料理屋「桜花屋」で鰻重を前に
右からゲスト『人民中国』雑誌社王衆一総編集長、筆者、楊哲三さん

 まずベストワンは、新世紀日航飯店の三階にある「桜花屋」の鰻重だ。この「桜花屋」の鰻重を第一位とした理由の一つは食器の美しさ、決して高級品ではないが、すべてこぶりで、色、形ともにばらつきがなく、まとまついているのだ。最初のおてふき置き、お茶碗から最後のデザートのお皿までばらつきがなく、流れがあるのだ。食器も料理の延長、食器にばらつきがないというのは、世に知られる名料理店案内書であるミシュランガイドの五つの判断基準の一つである「ばらつきのなさ」に通じるものがあると思ったのである。

 ミシュランガイドの五つの判断基準といえば、「価額とのかねあい」という一条もある。「桜花屋」の鰻重の価額、つまりお値段はわたしたちが食べ歩いた店のなかではいちばん安かったのだ。しかも、他の店では出なかったスイカとメロンのデザートまでついてある。

―― ミシュランガイドの判断基準 ――

 ミシュランガイドの五つの判断基準には、このほか「素材」、「調理法と味つけ」「独創性」の三条があるが、これらの基準は、まったくの素人のわたしたちにとっては判断がむずかしい。どの店もだいたい同じ感じ、甲乙つけがたかった。そんなわけで、ほかの二条が秀れているように思われた新世紀日航飯店の「桜花屋」の鰻重が一位となったわけだ。

北京長富宮飯店二階の日本料理屋「桜」で鰻丼の前にしてご満悦の筆者

 わたしたち二人が選んだ第二位は前述の北京飯店の「五人百姓」の鰻重、三位はホテルニューオータ二系列の長富宮飯店二階の「桜」の鰻丼となった。「五人百姓」はやはり例の季節に合った麦茶が光っていた。長富宮飯店の「桜」は、大きな窓から眺める日本庭園が光っていた。

―― たかが日本料理屋 されど日本料理屋 ――

 こうやって、北京の五つ星ホテル内の日本料理屋を、ミシュランの覆面調査員よろしく廻っていて、ちょっと驚いたことがあった。ざっと見まわすと、お客さんの七・八割が中国人、30代、40代のホワイトカラー、エリート風の中国人が圧倒的に多いということだ。その挙動から一見して「社用族」でないことがわかる。みんな自腹で、日本料理の「定食」というお隣りの国の文化を静かに、和やかに楽しんでいるのだ。常連らしい人もいた。

 こうした人たちは、中日友好の「予備軍」なのかも知れない。中日友好には、中国側にも、日本側にも、まだまだ開拓されていない処女地がある。日本料理屋めぐりをしながら、こんなことを考えていた。たかが日本料理屋 されど日本料理屋である

―― 孫平化さんと日本料理屋 ――

北京新世紀日航飯店三階の日本料理屋「桜花屋」の入り口に掛けられた
中日友好協会前会長孫平化さん書の看板

 わたしたちがベストスリーの一位に選んだ新世紀日航飯店の「桜花屋」の入口には、中日友好の中国側の窓口である中日友好協会の前会長、朝から晩まで中日友好を考えていた孫平化さんが書いた「桜花屋」の三文字をアレンジした小さく、そして上品な看板が掛けられていた。きっと孫さんも中日友好を願う一人として、北京の、いや全中国の日本料理屋さんに、大きな期待を寄せていたのだろう。

追記:食べ歩いた鰻丼(重)のなかでいちばん安かったと書いた新世紀日航飯店の「桜花屋」の鰻重は、人民元百元(日本円にして、だいたい千二・三百円ぐらい)でした。

作者のプロフィール
 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。
紹介した『東眺西望』
• 東眺西望(七)
• 東眺西望(六)
• 東眺西望(五)
• 東眺西望(四)
• 東眺西望(三)
• 東眺西望(二)
• 東眺西望(一)
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