3-4日目 広西の梧州市、共通語はなんと広東語 ようやく幻の六堡茶を飲んだ! その味は? 山奥の茶園、茶摘みの女性たち 六堡茶は船に乗って~「茶船古道」 お茶の生産、昔と今
5日目 ジャスミン茶の原産地は中国ではなかった 茶畑から市場へ、そして工場
六堡茶の産地は梧州市ですが、北京からの直行便がないため、桂林市経由にしました。初秋の頃、日本語部からは取材と撮影担当の2人、それに韓国語部の1人、合わせて3人のチームでした。
桂林の市の花は金木犀です。9月下旬の中秋節前後になると、金木犀の花が一斉に咲き乱れ、町中が甘い香りに包まれます。金木犀は中国語では「桂花」といい、桂林というのは「桂花成林」(金木犀の木が林を成して生い茂る)という意味です。そんなわけで、桂林市の至るところで、お店に「桂花茶」(金木犀茶)が置いてありました……
桂林を経由した僅かな時間を利用して、知り合いに地元の茶人(お茶関係の仕事をする人のこと)を2人紹介してもらいました。お茶の専門店を経営する覃文恵さんと覃子艶さん、どちらも女性です。
少数民族のチワン族出身の二人は共に30代のようで、親戚関係です。二人ともにこやかで知的な感じでした。お茶の世界に入る前は、玉やマホガニーなどを楽しんでいたという文恵さんは、いまはお茶を楽しんでいる(玩茶)といいます。「お茶は玉やマホガニーと同じように、どちらも大自然からの恵みを存分に蓄えているから好き。お茶は『生きた骨董品』だ。私たちが扱っているのは、黒茶と白茶の2種類だけだが……
「知白守黒」のお店を出て、茶人二人のお勧めで、「打油茶」というお茶を使った地元の名物料理を食べに行きました。連れて行かれたのは車が行き来する道端の目立たないお店でした。道に面している壁が取りはらわれていて、店は広くないのに、開放感があって、つい入りたくなるという親近感があります。
テーブルは普通の高さのもののほか、子供用のような低いものもありました。四角いテーブルに背もたれのない四角い椅子、どちらも木の色そのままなので、素朴な感じです。夕方5時過ぎですが、夕食の時間にはまだ早い。3人は歩道に一番近い外側のテーブルに座りましたが、隣の低いテーブルに若いカップルが座って何かを食べていました……
六堡茶を求めて訪れた梧州市は、広西チワン族自治区の東門とも呼ばれています。そのすぐ東が広東省になるからです。広西の85%の河の水がここ梧州に集まり、東の広州や香港、マカオへと流れていき、そこから海のシルクロードを通じて、遠くアラビアやアフリカにまでつながっています。そんなわけで早くも100年前の1897年には、梧州は対外貿易の埠頭として開かれ、輸出商品の中にはこの六堡茶がありました。
梧州は広西の町でありながら、共通語は広東語です。広東語の発祥の地とも言われていますし、ここでは、朝食を大事にするなど生活習慣も広東省と同じです。ある日、豆乳が特別に美味しいお店へ案内してもらいました。朝食なのに、10種類もの様々な点心(お菓子)が出され、店は家族連れの客で満員。ここの豆乳は泉の水を使って作るため……
広西の東にある梧州を後にし、ジャスミン茶の産地で知られる横県に向かいました。南へ高速道路を走って4時間、道沿いに一面のジャスミン畑が広がってきました。 実は、ジャスミンの花の原産地は中国ではなく、フィリピンです。それでは、ジャスミンの花はどのような経緯で中国に伝わり、北方地域で一番人気のジャスミン茶になったのでしょうか。いろいろある伝説の中の、こんなお話に心がひかれました。 大昔、フィリピンのルソン島はジャスミンの花に覆われ、清々しい香りが満ち溢れる天国でした。しかし、島には、欲張りな農園主がいて、農民に惨い仕打ちをしていました。ある日、中国の福建省から明るく働き者の明という若者がやってきました。やがて、ジャスミンの花摘みをする、吉沙という美しい娘と恋に落ちてしました。吉沙は毎日のように明の寝床にジャスミンの花輪を置いて愛を示したものでした……