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選者のプロフィール
 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。
前書き

 漢詩は、ときにはわたしを励まし、ときにはわたしを慰め、ときにはわたしの心を洗い清めてくれる。訓読の訳文に加えて、素人のまったくの「遊び」だが、和漢折衷の自己流の戯れ訳を添えてみた。日本の歌人の名訳を添えた詩もある。読んでいただければ嬉しい。

選者のひとこと
 「飲中八仙歌」は、杜甫が都長安で目にした飲酒八大有名人を軽妙なタッチでスケッチしたも ので、今回紹介したのは、その李白についての部分である。
 李白の酒豪ぶりは、早くから日本にまで伝えられていたようだ。関ケ原の戦役前後の慶長年間(1596~1615年)に日本で流行した「隆達小歌」にこんな一段がある。
 「杜子美(としみ) 山谷(さんこく) 李太白(りたいはく)にも 酒を飲むなと詩(し)の候(そうろふ)か」
 杜子美(杜甫)、山谷(宋の詩人黄庭堅)、李太白(李白)の詩にも、酒を飲むななんていう詩はありませんよねというわけだ。
 杜甫も李白も酒にふれた詩をたくさん残しているが、杜甫の詩には憂愁が感じられ、李白の詩には歓楽が感じられる。この点について、日本の中国文化の大家である吉川幸次郎は『新唐師選』で次のように書いている。
 「人人の誠実をこころざす杜甫はどうしても世のなかのいろいろなことが気にかかる。だから憂いの詩に富む……。ところが情熱そのものに忠実な李白は、情熱をいざなう機会に敏感である。だから快楽の詩に富む」
 杜甫は天宝四年(745年に)「春日(しゅんじつ)李白を憶(おも)う」という詩で「何(いず)れの時か一尊(いっそん)の酒 重ねて与(とも)に細(こま)やかに文を論(ろん)ぜん」と書いているが、杜甫が望んだこの李白とのさしの対酌は実現しなかった。残念である。
紹介した『私の漢詩歳時記』
• わたしの漢詩歳時記―一月中旬
• わたしの漢詩歳時記―一月上旬
• 私の漢詩歳時記―十二月下旬
• 私の漢詩歳時記―十二月中旬
• 私の漢詩歳時記―十二月上旬
• 私の漢詩歳時記ー十一月下旬
• 私の漢詩歳時記ー十一月中旬
• 私の漢詩歳時記―十一月上旬
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