上海の地下鉄2号線「河南中路」駅で降りると、そこは上海一の目抜き通り「南京路」です。大きなデパートやオフィスビルが建ち並び、朝から晩まで多くの人たちでにぎわっています。
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黄浦江 | この「南京路」に沿って、東へ向かって3分ほど歩くと、上海市内を流れる大きな川「黄浦江」に到着します。川の西岸には、石造りの古い西洋建築物が建ち並んでいます。この一帯が、上海のシンボル「外灘(ワイタン)」です。
<外灘の歴史>
アヘン戦争後、1842年の南京条約により、上海の港が海外に向けて開かれることになりました。上海は海外諸国の租界地となり、多くの外国人が行き来する街となりました。外国人が自由に商業活動を行えるよう、黄浦江のほとりに銀行やホテルなどの施設が次々と建てられ始めました。この一帯は、「外国人の岸」を意味する「外灘」と呼ばれるようになりました。
<外灘ぶらぶら歩き>
では、「外灘」を、北側からゆっくり散策してみましょう。
「外灘」のいちばん北側にあるのが外白渡橋(ガーデンブリッジ)です。1907年に造られた古い橋で、橋の下を流れるのは蘇州河です。租界時代は、橋の北側に日本人、橋の南側に欧米人の生活区域がありました。
ガーデンブリッジから北側を眺めると、左手に茶色のビルが見えます。1934年に建てられたもので、かつてはブロードウェイ・マンションと呼ばれていました。イギリス人の管理職が暮らしていたのだそうです。いまは「上海大廈」と名を代えて、ホテルとして使われています。
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ロシア総領事館 | 一方、右手に見えるのはロシア総領事館。赤い屋根に青い壁、独特の外観をした美しい建物です。
ガーデンブリッジの南側が黄浦公園です。当時はパブリック・ガーデンと呼ばれ、外国人専用の公園でした。いまは市民の憩いの場となっています。
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人民英雄記念碑 | この公園に、三角錐の形をしたひときわ目をひく記念碑が建っています。これは「人民英雄記念碑」です。中華人民共和国建設に貢献した人々をたたえるもので、1994年に完成しました。ちなみに、この記念碑の近くに外灘博物館もあります。
黄浦公園から南に向かって延びる遊歩道を歩きましょう。左手に流れるのは黄浦江。上海市の中心を北に向かって流れる全長84キロの川で、最後は長江と合流します。黄浦江の両岸は上海港と呼ばれ、3万トン級の大きな船が行き交います。
黄浦江の対岸には、近代的な高層ビルが建ち並んでいるのが見えます。上海の中で、最も急速に発展しつつある浦東地区です。金融貿易開発区となっており、国内外から多くの企業が進出して、上海の経済を盛り上げています。
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東方明珠タワー | 浦東地区の高層ビルのなかに、ひときわ目立つユニークな塔があります。東方明珠タワーです。1994年に建てられた、丸い真珠のようなデザインが個性的です(明珠=中国語で「真珠」の意味)。この東方明珠タワーが見えるあたりは記念写真スポットになっていて、いつも多くの観光客でにぎわっています。
また、ここから十六舗フェリーターミナルのあたりまでは、租界時代の西洋建築が多く残されています。いまも、ホテルや銀行、レストラン、ブランドショップなどとして使われています。内部を見学できる建物もあります。
<和平飯店>
外灘の西洋建築で、ぜひ見に行ってほしいのが和平飯店というホテルです。
南京路をはさんで、北楼と南楼にわかれています。ひときわ目立つ緑色の三角屋根が目印です。
和平飯店は1929年に建てられました。上海で巨億の富を築いたサッスーン財閥が、パーマー&ターナー設計事務所に依頼して造らせたものです。アールデコ調の装飾が、なんとも美しいです。こうした、租界時代の古いホテルは「オールドホテル」と呼ばれていて、上海市内にいくつかありますが、和平飯店はオールドホテルの代表格といえるでしょう。
和平飯店には、1920~30年代にかけての雰囲気がそのままの、ジャズバーがあります。北楼1階のジャズバーでは、専属の「老年爵士楽団(オールドジャズバンド)」がにぎやかな生演奏を聞かせてくれます。時間は夜8時から夜中まで。バンドメンバーはご老人の男性ばかり。それがいい味わいをかもし出しています。ついつい楽しくなって、踊りだすお客さんも多いのだそうです。
租界時代、上海にジャズ音楽が持ち込まれました。1920~30年代、上海はアジア一の音楽の都でした。ホテルのバーやカフェではジャズが流れ、租界の外国人住宅のサロンでは室内楽の演奏会が催されていたといいます。そうした伝統は、いまも上海に息づいているのです。
※外灘は夜10時ごろまでライトアップされています。ちょっぴりおしゃれをして、バーでジャズを楽しんだ後は、上海の夜景を楽しんでみてはいかがでしょうか?
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