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• ~八仙④李鉄拐及び曹国舅の伝説~
 今日は八仙人の中で、一番最初に仙人になった李鉄拐、及び、その逆、一番最後に八仙のメンバーとなった曹国舅の話をします。八仙は、中国の代表的な仙人集団です。中国大陸だけでなく、海外の中華圏でも知名度が高いです。実際には今のような8人のメンバーになるまでは、色々人物の入れ替えがありました……
• ~八仙③漢鐘離と呂洞賓の伝説~

 仙人はいつも一緒に行動している集団です。実は、その間に、色々かかわりもあります。今日は師弟関係にある二人、漢鐘離と呂洞賓の話をしたいと思います。漢鐘離が師匠で、呂洞賓が弟子です……

• ~八仙②張果老の伝説~

 張果老の名前は、もともと張果です。「老」というのは、人々がお年寄りを尊敬するためにつけたものです。つまり、この張果という人は、非常に長生きしたので、そんな年齢のお年寄りは珍しいよという意味で、「老」の敬称をつけたのです……

• ~中国の八仙伝説~

 中国では、日本の七福神と似た八仙人の伝説があり、各地で広く伝わっています。日本の七福神は、福をもたらすとして、古くから信仰されている七人の神様です。一般的には……

• ~時代に翻弄された夫婦の物語―破鏡重円~

 四字成語"破鏡重円"(はきょうじゅうえん)は、引き裂かれた夫婦が再び結ばれることを意味します。中国の南北朝時代、陳の国の皇女、楽昌皇女が、才能豊かで名が知られる徐徳言と結婚しました。夫婦二人、とても睦まじく暮らしていました……

• ~さらば、曹操!

 これは曹操にまつわるこんな言い方から来ているのです。"説曹操、曹操到" 「曹操の話をすると、曹操が現れる」。だから、曹操は一番足が速いです。足が早くなければ、自分の名前を聞くだけで、そんなにすぐに来られないですからね……

• ~好色の曹操~
 曹操第4話として、今日は曹操の私生活についてお話したいと思います。曹操の私生活、今風に言いますと、有名人のゴシップみたいなものですね。曹操についてちょっと調べてみたら、何とすごい情報がいっぱい分かりました……
• 曹操にまつわる梅の話

 梅といえば、日本人にとっても、とても馴染み深いものですね。梅干や、梅酒、梅味ののど飴などなど、日本人の生活にすっかり浸透しています。梅は中国の南の方で盛んに栽培されています……

• 曹操の評価&楊修の死
 正史「三国志」の作者、陳寿は曹操の策略や、権謀、法体系の確立、人材登用などの業績を称えた後、このようにまとめています。「非常の人、時代を超える傑出した人」。 これは後世の歴史学者による評価ですけれど……
• 詩人としての曹操
 中国後漢時代の末期に遡ります。動乱の時代には、数々の英雄が現れました。その中でも、ずば抜けた一人の人物がいます。曹操です。曹操は155年生まれ、220年に死去し、字は孟徳。中国の北部を統一し、魏国の礎を築いた人物です。日本でも知名度が高いです……
• 『史記・項羽本紀』⑤~英雄の末路~

 前回は、項羽の失脚と劉邦の決定的な勝利を決める戦い、「垓下の戦い」と覇王別姫の話をご紹介しました。項羽は800人の騎兵を率いて、包囲網を突破して南へ向かいうところまででしたね……

• 『史記・項羽本紀』④~垓下の戦いと覇王別姫~

 垓下の戦いは、紀元前202年に項羽の楚軍と劉邦の漢軍との間で、垓下(現在の安徽省蚌埠市固鎮県)を中心に行われた戦いです。この戦いで項羽が死んだことによって、劉邦の勝利が決定し、楚漢戦争が終結しま……

• 『史記・項羽本紀』③~鴻門の会~

 鴻門の会。これは楚の項羽と漢の劉邦が、秦の都、咸陽の郊外で会見した話です。劉邦を殺す最高の機会を、項羽は逃してしまいました。項羽は劉邦を殺すチャンスに恵まれましたが、それをしっかり掴むことができず、とうとう、楚と漢の戦いが始まってしまいました……

• 『史記・項羽本紀』②~頭角を現す項羽~
 秦の末期(紀元前209年)、項羽が24歳の頃、秦の始皇帝の死去や不満の溜まっていた民衆の中から反乱(陳勝・呉広の乱)が起こり、速いスピードで各地へと広がった。同年9月、項羽と叔父の項梁が亡命していた会稽郡(現在の浙江省紹興)の郡守殷通が項梁を郡役所に招き、「長江の西は、すべて農民蜂起軍に圧制されている……
• 『史記・項羽本紀』①
 「本紀」は「列伝」と同様、「史記」の中で、最も重要な構成部分の一つです。12巻からなっています。司馬遷は「史記」で、伝説の黄帝から、漢の武帝まで、およそ3000年の歴史を記しました。  
 項羽が帝王ではないのに、その伝記は司馬遷に帝王の枠に入れられました。「本紀」の例外とでも言えます……
• 貨殖列伝(下)
 姜太公、苗字は姜、氏は呂、名は尚と書く尚(しょう)、字は子牙。姜公という尊称の他、呂尚或いは太公望といった呼び名で知られています。姜太公は数々の伝説に包まれた人物です。紀元前1156年に生まれ、紀元前1017年に死去し、139歳だったそうです。
• 貨殖列伝(中)
 司馬遷親子二人とも、太史令、現在の国家図書館の館長という役職ですが、孔子が書いた「春秋」に続き、漢の時代までの新しい歴史書を書くというのが、もともと父親司馬談の夢でした。夢を実現できずに、なくなった父の遺言を聞きいれ……
• 貨殖列伝(上)

 「史記」は中国では最も重要な歴史書の一つです。全部で130巻52万6500字からなっています。今から2100年ぐらい前、前漢の武帝の時代に、司馬遷によって編纂されました……

• 触龍、趙太後を説得

 戦国時代、趙の国では王が亡くなりました。即位した新しい王は年が若く、まだ少年でした。幸い若い王の母親はとても才能がある女性で、王に代わりまつりごとを処理しています。政権交代によって趙国の政治がいささか不安定な時期を狙って、秦は趙へ侵略戦争を仕掛け、一挙に三つの城を占領しました……

• 鄒忌、斉王に見事に諫言

 中国の春秋時代、史書『春秋』に由来する時代の区分ですが、紀元前770年~紀元前403年までです。その時には、周王朝が崩壊する中、日本の戦国時代の大名に当たる諸侯が、覇権を争いあいました。そんな中、さまざまな思想がぶつかりあい……

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