曹操第4話として、今日は曹操の私生活についてお話したいと思います。曹操の私生活、今風に言いますと、有名人のゴシップみたいなものですね。曹操についてちょっと調べてみたら、何とすごい情報がいっぱい分かりました。
① 曹操はイケメンではありません
「レッドクリフ」などの映画を見ると、曹操は威風堂々で、カッコいいですよね。実は、曹操は背が低いです。1800年ぐらい前と比べれば、我々現代人は栄養がよくなったため、平均的に背が伸びたかもしれません。でも、曹操はわずか160センチで、足も短い。少なくとも今の視点で見てみますと、どんなに顔立ちが良くても、立派な男性とはいえないと思いますね。
顔立ちがまあまあ普通で、背が低い曹操は、体格で言えば威風堂々と言う感じではないかもしれませんね。女性には権力以外にはそれほど大きな魅力がなかったかもしれません。
② 曹操は大の女好きです
その証拠に、曹操にはたくさん子供がいます。何と、息子だけでも25人いるんです!娘も6、7人ぐらいいて、合計30人を超えています。その25人の息子は、13人の女性が産んだものです。子供を生まなかった女性も含めて、名前が知られている曹操ガールズは、15人を超えています。それから、一夜ぐらい共に過ごした女性も入れれば、まあ、すごい数でしょう。一言で言えば、間違いなく好色男ですね。
曹操は美人が大好きです。たまたま見かけた美人が気に入れば、その美人が未婚者か既婚者かというのも、まったく気にしないんです。曹操の妻には、人妻が多いです。逆に言うと曹操が人妻を好きだという言い方もありますよ。これらの人妻は、だいたい戦で撃ち取った敵将の妻だったり、なくなった将校たちの美しい未亡人などです。
「英雄、色を好む」って言うように、やはり権力と情欲、色欲はとても関連性があるようですね。曹操の場合は、土地を征服すると同時に、女性も征服しようとしているんですかねぇ。
③ さすがの曹操も、好色でやられました
好色のせいで、曹操は長男の曹昂、及び最愛の部下である典韋を失いました。ちなみに、典韋は三国武将の中で、とても有名な人です。武術だけ論ずるなら、1位は呂布、2位は趙雲、そして、第3位は、この典韋です。
では、ご紹介します。
曹操が荊州の張繍を征伐し、降伏させた。ある日の夜、曹操は酔っ払って、「この城には妓女がいないか?」と、甥の曹安民に聞いた。曹操の好みを熟知している曹安民は「この官舎でとても美しい女性を見かけた」と答えた。聞くと、それは、投降したばかりの張繍の戦死したばかりの叔父、張済の妻である。曹操は連れてきてくれと命令した。すると、女性がやって来た、確かに美しい。
曹操はすっかり惚れ込んでしまい、女性も従順で男に従った。やがて、張繍はこのことを知って、激怒した。「ひどい!人のおばを弄ぶなんて、この俺を馬鹿にしているんじゃないか」と、曹操を不意に攻撃しようとした。
しかし、曹操の護衛役に、武芸の優れた典韋がいる。張繍たちは典韋を恐れ、ある計略をたてた。酒宴を開いて、典韋を呼び、彼が酔っ払ったところで、典韋の使い慣れた武器を盗もとした。
当日の夜、曹操は張繍の叔母だった女性と、酒を飲んでいる。外に馬の鳴き声などが聞こえ、少し騒がしいことが気になって、聞いてみると、「張繍が夜間の定例パトロールをしている」と答えが返ってきた。夜中になって、陣営のあちこちでは、兵士の叫ぶ声が聞こえ、火が燃え始めた。ようやく異変に気付いた曹操は慌てて、典韋の名を呼んだ。泥酔していた典韋はすっかり寝込んでいた。慌てておきると、自分の武器が見つからない。隣の兵士から刀を取り、20人あまり斬った。それでも、張繍が率いる兵士はどんどん攻めてきた。典韋は人を切りすぎてボロボロになった刀を捨てて、両手にそれぞれ一人の兵士を持ち、敵軍を迎撃し、更に9人ぐらい殺した。
その時、典韋も全身傷だらけになり、血まみれで尚も悪戦苦闘を続けた。敵軍はおびえて、近づこうとする人がいない。遠いところで矢を射た。典韋は死ぬまで軍営の正門を譲らなかった。
典韋が死ぬまで、張繍の侵攻を拒んだため、曹操は結局裏の門から逃げ出しました。途中には曹操は腕に負傷し、乗った馬も矢が三発命中しました。河を渡って、曹操の馬は更に目に矢が命中し、倒れました。曹操の長男、曹昂は自分の駿馬を父親に譲ったため、敵軍に乱射され、死んでしまいました。
④ 曹操は元の妻に嫌がられました
曹操の第一夫人は丁夫人です。最初に結婚した女性です。
この夫人は子息に恵まれませんでした。曹操の妾で、曹昂を含めて、3人の子供を生んで、若くして亡くなってしまった人がいます。この亡くなった女性の3人の子供を、曹操はこの丁夫人にあげました。丁夫人はとても心の優しい人で、3人の子供を実の子供のように可愛がっていました。
自分の子供として可愛がった曹昂が亡くなって、丁夫人が一番悲しみました。心が痛むと同時に、夫の曹操を恨みました。「この好色男め、張繍に叛乱させ、曹昂を死なせた!」と、いつもいつも曹操の鼻に指差して罵倒しました。
曹操も反論できません。でも、いつも罵られるから、さすがの曹操もとうとう我慢の限界になり、丁夫人を実家に送り返しました。2人で冷静になろう、とは言っても、実家に送り返すなんて、ちょっとひどいですね。
その後、曹操は後悔し、何度も迎えに行きましたが、「もう帰りたくない」と、きっぱり断られました。
曹操は他の人と再婚してもいいと、丁夫人を許しましたが、残念なことに、やがて、丁夫人は病気で実家でなくなりました。
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