会員登録

~さらば、曹操!

2012-09-24 10:24:08     cri    


























autostart="true"



















src="mms://media.chinabroadcast.cn/japanese/20120620ri.wma">BR>



type="video/x-ms-wmv"














width="350"




height="44">

 クイズ

 Q:一番足が速い人と言えば、だ~れ?

 A:曹操です。

 これは曹操にまつわるこんな言い方から来ているのです。"説曹操、曹操到" 「曹操の話をすると、曹操が現れる」。だから、曹操は一番足が速いです。足が早くなければ、自分の名前を聞くだけで、そんなにすぐに来られないですからね。

 "説曹操、曹操到"は中国でとてもはやっている俗語です。その由来と言いますと、曹操は疑い深い性格で、常に曹操打倒の運動が行われているのではと心配しています。不穏な動きの手がかりを探るため、大勢の情報屋を雇っています。ですから、いざ曹操に反発するような言動があれば、すぐにでもあなたの前に現れてくる。だから、このような人を警戒しなければなりません。

 日本語には、「噂をすれば影」という諺が、"説曹操、曹操到"と同じような意味で使われていますね。

さらば、曹操!

 曹操の死は武将たちによくある戦場での無残な死と違って、あのような混乱の世の中で、意外と幸せな病死を遂げました。66歳で洛陽で死去。

 曹操の死因は偏頭痛など慢性頭痛だそうです。その死はもう一人の有名人、名医の華佗と関係しています。華佗は非凡な才能を持つ伝説的な名医です。曹操は華佗を殺しましたから、結局、自分も長生きできずに、頭痛で死去しました。

 何故天下の名医を殺したのか、その理由について、二つの説があります。一つは、陳寿の歴史書「三国志」及び「後漢書」の記述によりますと、華佗が曹操を診察したところ、その病がもう救いようがなく、完治できないことが解りました。華佗自身にとって、一医者として曹操に仕えるのは、社会的地位が低い。そこで、妻が重病だという言い訳をして、故郷に戻り、曹操の治療をしなかったため、曹操に殺されてしまったというものです。

 中国の後漢時代の社会的背景を考えて見ると、華佗は医者より、知識人という高いステータスを持っていました。医者は当時の知識人が、あくまでも趣味としてやっていたものです。だから、もう病気が完治しないであろう疑い深い曹操に自分の将来を賭けたくないというのも、理解できないわけでもないですね。

 また、もう一つの説といいますと、もちろん、羅貫中による小説、『三国志演義』の説です。「三国志演義」によりますと、偏頭痛で苦しんでいる曹操は、他の人に華佗という名医を紹介してもらいました。華佗は針灸で治療すると、すぐに痛みが緩和しました。しかし、曹操の仕事は、とても忙しくて、毎日たくさんの書類を処理しなければならないため、しばらくするとまた痛みました。

 慢性頭痛って、あの時代には完治は難しいでしょうね。ただ、華佗が頭痛を本当に治そうと思うなら、まったく方法がないというわけでもない。一つ方法があるんです。しかし、その治療法は当時の人々にとっては、あまりにも大胆なものです。華佗は麻沸散(まふつさん)外科手術用の麻酔薬を開発しました。あなたの頭痛を完治させるために、斧で頭を割って、病巣を摘出しなければならないと、曹操に話しました。

 曹操はとても疑い深い人間ですから、華佗の治療法を聞くと、それは意地悪るだと思い込んでいました。華佗は昔、関羽のために足の手術をやったことがあるので、関羽とは親交があります。なので、曹操は華佗が頭の切開手術を提案したのは、本当は自分の病気を治すためではなく、関羽の代わりに、仇を討つためではないかと思い、、激怒して、華佗を投獄し、処刑したのです。曹操本人もまもなく病気が悪化し、亡くなりました。

 曹操の疑い深い性格は自分を守るためである一方で、治療を怠り、自分の死も招いてしまいましたね。

 曹操のこのような性格は、自分の死後のこともちゃんと想定してあって、お墓の場所選定などにおいても、はっきりしています。 

 まずは、曹操は簡素な葬式を提唱しました。もちろん、曹操は一生質素な生活を提唱していましたが、簡素な葬式、あまり副葬品をお墓に入れないという主張は、死後、盗賊に盗まれないようにという、心配もあるのではないかと思います。

 中国では昔から、人間は死後の世界でも、人間界と同じような生活を送ると信じていますね。ですから、帝王たちは、地下に大きな宮殿を作って、たくさんの副葬品を埋葬するのが普通です。その典型的な例が、秦の始皇帝の陵墓です。あれほど規模の大きい兵馬俑がただの副葬品のほんの一部だと考えると、始皇帝陵墓って、すごいなあって思いますね。

 しかし、曹操は違います。疑い深くて、用心深い性格です。人の視線を惑わすため、曹操は生前に自分のために72のお墓を用意しました。お葬式の日に、形がまったく同じ72の棺おけが、お城の東西南北、4つの門から、運ばれてきて埋葬されました。

 これはなかなかすばらしいアイディアですね。こうすれば、本当のお墓を見つけられるのは、ほぼ不可能ですね。時間が経って、後世となると、ますます分からなくなりますね。

 ここ2,3年、曹操のお墓が発見されたと、大きな噂が出ますが、結局、どれも真の曹操陵墓として判明されていません。一説によると、曹操の陵墓は、河の下にあるとしています。

 曹操のお墓はどこにあろうとも、曹操という三国時代の代表的な人物の影響力は、いつまでも色褪せません。

関連ニュース
エナジー
v ~好色の曹操~ 2012-09-17 10:27:20
v 貨殖列伝(下) 2012-07-16 11:01:18
v 貨殖列伝(中) 2012-07-09 13:09:48
v 貨殖列伝(上) 2012-07-03 16:13:15
v 触龍、趙太後を説得 2012-06-15 10:48:26
v 鄒忌、斉王に見事に諫言 2012-05-30 14:05:44
写真トピックス
コメント
今週の番組
今日熱点
快楽学唱中文歌
特集ダイジェスト
LINKS