張果老の名前は、もともと張果です。「老」というのは、人々がお年寄りを尊敬するためにつけたものです。つまり、この張果という人は、非常に長生きしたので、そんな年齢のお年寄りは珍しいよという意味で、「老」の敬称をつけたのです。
張果老の年齢
唐の初期、張果老に会った人がいます。その人の話によりますと、不老長寿の術を習得しているため、もう数百歳だと自称したということです。
でも、唐玄宗が使者を出して、宮廷まで招いてきたら、伝説の尭・舜・禹の時代の最初にある尭の時代に生まれ、その時の官僚だったと、本人が言ったそうです。少なくとも3000年は遡ると思いますね。
更に、その年齢について、色々疑問を持っていた唐玄宗ですが、自分が信頼した道士、葉法善という人に張果老の正体が何なのかと聞いてみました。葉法善という道士は、皇帝の信頼を得るほど、長年の修行を重ねたベテランですが、この人は、張果老の正体は実は、天地、即ち、この世界が生まれる前、まだ天と地の区別もない、混沌としていた状態の時に現れた白い蝙蝠の妖精だと話しました。
そういえば、唐の時代に姿が現れた張果老は、もう数えられないほど歳がいってますね。まあ、その年齢について、いろんな伝説がありますが、いずれにしても、不老長寿の人であり、名前に「老」を付け加えられるので、ふさわしいですね。
張果老の伝説
不老長寿の術を習得したと言われる張果老ですが、何回も唐玄宗に招かれたことがあります。だから、張果老にまつわる伝説は、ほとんど唐玄宗にかかわっています。
中国では昔、秦の始皇帝を初め、不老長寿を求め、仏教よりは道教を信じていた皇帝が多いです。
道教は不老長寿を求める神仙思想を基盤としているため、中国では深く根付いた本土宗教です。不老不死の霊薬、丹を練り、仙人となることが究極の理想とされていました。なので、生まれてから、生活上、何の不自由もなく、大きな権力を持つ皇帝にとっては、死なないで、永遠にこの莫大な富と権力を享受できるようにと、仙人になることを望んでいるわけです。
ちなみに、道教の創始者は、春秋時代の老子としていますが、老子の本名は李耳です。唐の皇帝も苗字が李です。同姓の老子を祖先と仰ぎ、道教を非常に信仰していました。
張果老は、玄宗皇帝に呼ばれて、宮殿に来ています。張果老は相変わらずとても年老いた姿です。玄宗皇帝はいささか疑問に思い、「先生はすでに仙人になったんじゃないの?何故髪の毛が白くて、歯が緩んでいるのか?」と聞きました。
普通仙人になれば、自由自在に姿を変えることができるんです。いくら年をとっても、若い姿を見せることができるのにね。
張果老は答えます。「わしは歯が抜け、髪の毛が薄くなった時に仙人になったわけですから、こんな姿のままです。たしかに情けない。今、陛下に聞かれたものですから、こんな歯や髪を全部抜いたほうがいいかもしれません。」
張果老は髪の毛を全部抜いて、残っているいくつかの歯も全部砕きました。すると、口辺りは血まみれになっています。
玄宗皇帝は大変驚いて、「何故こんなことまでするのか?しばらく休みなさい。」と言いました。しばらくすると、別の部屋から、張果老が出てきました。
今度は黒い髪となって、白くて丈夫な歯が生えてきています。青年っぽくなりました。
張果老はしばらく宮廷に残って、玄宗皇帝に仕えました。ある日、玄宗皇帝は狩りに出かけました。大きな鹿を捕まえて、それを殺そうとしています。張果老はそれを止めました。
「前漢の時代の皇帝、漢武帝がこの鹿を捕ったことがあります。森に放してやった時に、鹿の左の角に、銅製の札をつけました。852年前から生きていた鹿ですから、殺さないほうがいいでしょう。この私の話を信じなければ、その札を探せばよい。」と、張果老が言いました。
探してみたら、確かに銅製の札がありました。札に刻まれた文字はもう読めませんが、年表を調べたら、漢武帝からその歳まで、確かに852年過ぎたということです。
こうなると、玄宗皇帝は心の中で、張果老が仙人であるということにもう疑問を持たないだろうと思われますが、何といっても、仙人というのは、伝説中の人物で、誰も実際に確認したことがありませんから、玄宗皇帝はまだ確かめようとしています。
玄宗皇帝は宦官の進言を聞いて、毒を入れた酒を飲ませました。張果老は「これはうまい酒ではない」と言いながら、酒をぐっと飲みました。
中国では昔の毒薬はだいたい飲むと、骨が黒くなります。張果老は毒酒を飲んで、歯が焦げました。すると、彼はこげた歯を全部叩き落し、歯茎に膏薬を張って眠りました。
また、目を覚ますと、歯が生え揃いました。前よりもきれいで丈夫そうです。
これで、ようやく玄宗皇帝は張果老を真の仙人と、認めるようになり、自分の娘を、張果老と結婚させようとしました。しかし、仙人はもう俗世間から離脱した存在ですから、張果老はもちろん断りました。そして、休みを乞い、宮廷を去っていきました。
742年、玄宗皇帝は再び召しだしましたが、張果老は急死してしまいました。弟子は張果老を埋葬しました。後に、張果老の棺おけが開けられ、見てみると死体が消えています。
後ろ向きにロバになる理由
張果老の姿と言いますと、いつもロバに乗っているのが特徴です。そのロバも実は仙人術で変化したものです。休む時に紙のように折りたたんで箱にしまい、乗る時に水を吹きかけると、ロバになるといわれます。
張果老のロバに乗る姿は、何故に前に向いているのではなく、後ろ向きにロバの背にかけているんです。
それは、二つの説があります。一つ目は、とても現実的です。張果老は8人の中で、歳老いた人、年寄りの代表です。年寄りは足が弱いため、出かける時、よく足代わりとしてロバに乗っていました。実は、昔、年寄りたちはよく後ろ向きにロバに乗りました。
一番最初に八仙の絵を描いた人は、きちんと観察した結果、そのように描いたでしょうね。後ろ向きに乗ると、ロバが急に進む時など、慣性力が働くと、ロバの背中に倒すようになりますね。前向きだと、ロバが急発進すれば、後ろに傾くから、体に柔軟性がない年寄りにとっては、危ないからですね。
後ろ向きに乗る理由について、もう一つの哲学っぽい理由があります。前は将来、後ろは過去を意味します。張果老が後ろ向きに乗って、前へ進むというのは、前へ進むと同時に、これまで歩んできた道を見て、同じような過ちを二度と繰り返さないで下さいと、注意しているわけです。
前途が分からないから、これまでの経験をまとめてからこそ、明るい前途にたどり着くことができるという意味を示唆しているんです。
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