八木さんは北京放送局日本語部での20余年、毎日毎日のそのことばで、その行動で中国人スタッフ、日本人スタッフの信望を集め、日本語組組長を務めたこともあった……
この写真は、1960年5月9日午後、北京の天安門の楼閣の上で撮ったものだ。目の下に拡がる天安門広場では、百万人の北京市民が日本人民の反米愛国闘争を声援する大集会を開いていた……
毎年四月になると、北京放送局の庭の桜が花を開く。二十本、まさにちょっとした桜の庭だ。垣根(鉄柵)越しに、地下鉄の駅前の道からも眺められるので、小さいながらも北京の桜の名所として紹介した新聞もある……
写真上から、まず杯を合わせ①、次いで「ぐっ」と一気②、そして空になった杯の底を見せあって「めでたし めでたし」③――これが中国流の乾杯のマナーです。後に立っている人はお店のマネージャー、さしずめ「行司」さんといったところでしょう……
わたしは一九六五年の大晦日を、朝鮮との国境に近い中国・東北地方の一寒村で迎えた。中国の農村を知り、農民を知ろうと、ここで農民と同じ屋根の下に住み、同じ仕事をし、同じものを食べるいわゆる「三同」の生活をしていたのだ……
作词、作曲:于京乐团 演唱:鹿晗