衣がえ
中国では、旧暦の十月一日。新暦では十一月十五日前後(今年は十一月十四日)、冬への衣がえをする習慣があります。まあ、この日が来る前に冬の衣服の用意を終るとでもいうのでしょうか。昔は、この日に皇帝が臣下に棉入れの服を下賜したそうです。また、清(1644~1912年)の時代の北京の歳時記『燕京歳時記』によると、昔はこの日を「送寒衣」といって、切り紙細工のように紙を切って作った棉入れの服や帽子などを祖先の墓に供えたそうです。
棉入れの服といえば、昨今の北京の街なかでは、これを着ている人をほとんど見かけません。老いも若きも、男も女も、みなカラフルな、しゃれたダウンジャケットです。私も1980年代からダウンジャケットを愛用しています。いま着ているのは二代目、1996年12月3日の北京放送開局55周年の記念植樹の写真(写真参照)に、このダウンジャケットを着て映っていますから、もうかれこれ十五、六年も着続けているわけです。色も褪せて、だいぶくたびれているこのジャケット、なぜ着続けているのか、それにはちょっとしたエピソードがあるのです。
もう三年前の冬のある日。家内を家の近くを散歩していました。二人とも、1980年代に北京のちょっと名を知られた洋服屋さんで買った薄茶色のお揃いのダウンジャケット(前述の二代目の服)を着ていました。
わたしたちを追い抜いて前を行く若いカップルが振り返って親指を立て笑顔で「お揃いのダウンジャケットとても素敵、お似合いですよ」と言ってくれたのです。わたしたちは、ちょっと戸惑いましたが、やはりほめられて嬉しかったのでしょう。「ありがとう、お二人とも幸福にね」と言いました。二人は「おじいちゃま、おばあちゃま、お元気で」と手を振りながら立ち去っていきました。
家に帰ると家内はダウンジャケットを脱ぎながら「これ、もう二、三年着られそうね」と言い、わたしも「うん、三、四年は大丈夫だよ」と言って、いまも着続けているわけです。
長々の「わたくしごと」が続いてしまって、ごめんなさい。もともと、北京の今年の冬のファッション事情でも書いて締めくくろうと思っていたのですが、なにせたいへんな「ファッション音痴」、まったく筆が進みません。そこで、援軍を求めることにしました。友人でちょっと名の知れたファッションデザイナーの陳富美さん、以下はその電話のやりとりのさわりの部分です。外来語がたくさん出てきてまるで外国語を聞いているようなところもありました。おかしな所がありましたら、それはわたしの聞き違い、ご了承ください。
「北京の今年の冬のファッション、ちょっと無理よ。以前は次の年とかそのまた次の年だったのが、昨今はその年のパリのファッションがその年のうちに上海、北京に入ってくるんだから。上海、深センではシーズンのファッションショーが一年に六回開かれているのよ。とても追いついていけない」
「冬に向かって女の子のブーツは長くなる一方、スカートは短くなる一方、足が長く見えるっていうの。頭がすっぽり入る大きな帽子、コートは半袖か七分袖でセーターの袖を出すのが流行るかも……」
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