五月(ごがつ)の榴花眼(りゅうかめ)を照(て)らして明(あき)らかなり
枝間時(しかんとき)に見(み)る子(み)の初(はじ)めて成(な)るを
憐(あわ)れむ可(べ)し此(こ)の地車馬(ちしゃば)の無(な)きを
蒼苔(そうたい)に顛倒(てんとう)して絳英(こうえい)を落(お)とす
「五月」は新暦六月、「憐れむべし」はありがたいことにといった意味(ありがたいことにここには車が入ってきて柘榴の花を踏みつぶすようなことはない)、「蒼苔」は青い苔、「絳英」は眞紅の花、青い苔と眞紅の柘榴の花、鮮やかなコントラストが実に見事です。恐らく青い苔の上に落ちた眞紅の柘榴の花びらを詠ったのでしょう。
日本ではよく「紅一点」ということはが使われますが、このことばのルーツも柘榴の花にあるようです。宋の詩人王安石(1021~1086年)の柘榴を詠った詩に「万緑叢(そう)中紅一点」ということばがあります。六月の万緑のなかの紅一点、それが柘榴の花なのです。それが紅一点のルーツなのです。
追記:柘榴が二千年も昔に中東からシルクロードを通って中国に伝えられたと書いていて、ふと頭に浮かんだことがありました。テヘランに駐在していたことのある友人が金魚はテヘランの正月に欠かせない吉祥品だと語っていたのです。ひょっとすると、北京の屋敷の庭に柘榴と並ぶ金魚もその昔西からシルクロードを通って中国にやってきたのかもと思ったのです。
ところがです。念のために中国の代表的な百科辞典『辞海』の「金魚」の項目を引いてみると「中国の特産、世界各国に流通する」と書かれているではないですか。さらに念のため日本の平凡社の『世界大百科辞典』の同じ項目を引いていると「金魚の原産地は中国浙江省。16世紀にイギリス。18世紀にフランス、19世紀にアメリカに移出され……」と書いてありました。金魚は柘榴とは逆にシルクロードを東から西へと「泳いで」行ったのかも知れません。
昔のグローバル、大自然の高い壁はあったでしょうが、人間同士はいたって和やかだったようです。ちょっと想像できない規模で広く交流がおこなわれていました。いま流行している規制とか制裁とかはあまり無かったようですね。
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