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第七回 柘榴花・紅一点

 北京の六月の平均気温は24.1度、最高気温は38.9度、最低気温は11.7度、もう夏です。


柘榴花

 咲いている花は、五月末ころから開き始めた茉莉花(マツリカ)、合歓(ネム)がひき続きよい香りを放っています。この二つの花は花季が長く、合歓は八月まで、茉莉花は散ったり開いたりで九月まで良い香を楽しませてくれます。

 六月の北京の花、まず頭に浮かぶのは、あざやかな眞紅の花を開く柘榴です。清末の北京の歳時記『燕京歳時記』には「北京の五月(新暦の六月)には柘榴の花ひらく。鮮明なること眼を照らすばかりなり」と記されています。柘榴は、そのあざやかな眞紅の花とみどりの葉で市民の眼を楽しませてくれるのです。香りの花にたいする色彩の花、観る花といえましょう。柘榴は漢代の旅行家張騫(?~BC114年)が中東から中国に持ち帰ったものだといわれています。

 四合院と呼ばれる北京の伝統的な住宅の庭には、この柘榴と夾竹桃(キョウチクトウ)を並べて植え、そのあいだに魚缸(金魚を放つ陶製の大きなかめ)を置くのが、庭造りの代表的な形式になっています。ビル建設ラッシュのなかで、こうした庭を持つ家が少なくなっているのは、ちょっと淋しいことです。

 この庭の形式、美しいだけでなく、柘榴はその実の多いところから子宝に恵まれる、金魚(jinyu)はその発音が金余と同じところから富に恵まれるといった縁起をかついでいるようです。夾竹桃が添えられているのは、控え目な夾竹桃の香りと色が燃えるような柘榴の眞紅の引き立て役なのかも知れません。

 前述の『燕京歳時記』の「北京の五月(新暦六月)には柘榴の花ひらく。鮮明なること眼を照らすばかりなり」は、おそらく唐の詩人韓愈(768~824年)の「張大の旅舍に題す 榴花」からの引用でしよう。この詩を記しておきます。

五月(ごがつ)の榴花眼(りゅうかめ)を照(て)らして明(あき)らかなり

枝間時(しかんとき)に見(み)る子(み)の初(はじ)めて成(な)るを

憐(あわ)れむ可(べ)し此(こ)の地車馬(ちしゃば)の無(な)きを

蒼苔(そうたい)に顛倒(てんとう)して絳英(こうえい)を落(お)とす

 「五月」は新暦六月、「憐れむべし」はありがたいことにといった意味(ありがたいことにここには車が入ってきて柘榴の花を踏みつぶすようなことはない)、「蒼苔」は青い苔、「絳英」は眞紅の花、青い苔と眞紅の柘榴の花、鮮やかなコントラストが実に見事です。恐らく青い苔の上に落ちた眞紅の柘榴の花びらを詠ったのでしょう。

 日本ではよく「紅一点」ということはが使われますが、このことばのルーツも柘榴の花にあるようです。宋の詩人王安石(1021~1086年)の柘榴を詠った詩に「万緑叢(そう)中紅一点」ということばがあります。六月の万緑のなかの紅一点、それが柘榴の花なのです。それが紅一点のルーツなのです。

 追記:柘榴が二千年も昔に中東からシルクロードを通って中国に伝えられたと書いていて、ふと頭に浮かんだことがありました。テヘランに駐在していたことのある友人が金魚はテヘランの正月に欠かせない吉祥品だと語っていたのです。ひょっとすると、北京の屋敷の庭に柘榴と並ぶ金魚もその昔西からシルクロードを通って中国にやってきたのかもと思ったのです。

 ところがです。念のために中国の代表的な百科辞典『辞海』の「金魚」の項目を引いてみると「中国の特産、世界各国に流通する」と書かれているではないですか。さらに念のため日本の平凡社の『世界大百科辞典』の同じ項目を引いていると「金魚の原産地は中国浙江省。16世紀にイギリス。18世紀にフランス、19世紀にアメリカに移出され……」と書いてありました。金魚は柘榴とは逆にシルクロードを東から西へと「泳いで」行ったのかも知れません。

 昔のグローバル、大自然の高い壁はあったでしょうが、人間同士はいたって和やかだったようです。ちょっと想像できない規模で広く交流がおこなわれていました。いま流行している規制とか制裁とかはあまり無かったようですね。

作者のプロフィール
 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。
紹介した内容
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第六回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第五回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第四回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第三回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第二回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第一回
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