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第十二回 納涼①

 よっぽど暑かったのでしょう、涼を求めて日本の大漢和辞典の「涼」という字の解字を調べたことがあります。「涼は『水+京』の会意文字で、風通しのよい丘の上のように、水がひんやりしていること」と書かれていました。

 この解字を読みながら頭に浮かんだのは、北京の中心にある北海公園の南の端にある団城と呼ばれる庭園です。ここは金(1115~1234年)の時代から歴代皇帝の御苑だったところで、その面積は4500平方メートル、案内書には世界でいちばん小さい御苑だと書かれています。三方を蓮の花咲く池に囲まれた高さ5メートルの高台で、白玉の佛像を祀った承皇殿を中心に樹齢数百年の松やこのてがしわ、築山や東屋が点在しています。

 水に囲まれた高台、まさに「涼」という字の解字にもとずいて造ったような御苑ですが、風流皇帝として知られる清の乾隆帝(1711~1799年)は、ここを納涼の場として、とても気に入ったようです。その証拠が、いまでも団城に残っています。「遮蔭侯」と呼ばれる樹齢800年の松の木です。夏のある日、この松の木の下にやって来た乾隆帝は、別天地のような木影の涼しさにすっかり惚れ込み、ここに机や椅子を運ばせて一休みしたそうです。そしてこの松の木に感謝して「遮蔭侯」、暑い太陽の光を遮えぎり、涼しい木蔭を作ってくれる「侯」に封じたというのです。

 わたしも、乾隆帝にあやかろうと、暑い夏の昼さがり何回かここを訪れてみました。三方を北海と呼ばれる池に囲まれたこの高台の「遮蔭侯」の下に佇むと、たしかになんともいえぬ涼しさを感じます。肌に感じる涼しさだけでなく、碧い池、緑の松といった視覚に感じる涼しさ、松やこのてがしわの香りといった臭覚に感じる涼しさ……、宋の詩人徐璣(1162~1214年)の「夏日閑坐」という詩に「風過(かぜす)ぎて微(かす)かに聞(き)く松葉(しょうよう)の香(かんば)しさを」ということばがありますが、乾隆帝もきっとこの松の香りに感動したのでしょう。

 今回の東鱗西爪――「話・はなし・噺・HANASHI」:この徐璣の「夏日閑坐」を抜き書きして、暑中お見舞に替えて筆を擱くことにしましょう。声をだして詠んでみてください。北京北海公園の団城の「遮蔭侯」の下の涼しさが届くかも知れません。

無数(むすう)の山蝉夕陽(さんせんせきよう)に譟(さわ)ぐ

高峰(こうほう)影裏(えいり)陰涼(いんりょう)に坐(ざ)す

石辺偶(せきへんたま)たま看(み)る清泉(せいせん)の滴(したた)るを

風過(かぜす)ぎて微(かす)かに聞(き)く松葉(しょうよう)の香(かんば)しさを

 追記:北海公園の南門から、ちょっと出っ張って造られている団城は、北京市の道路建設計画で取り払われそうになったそうです。これにストップを掛けたのは名宰相周恩来さんでした。「こんな立派な文化遺産、取り払ってはいけない。道路を迂回させなさい」と言ったそうです。確かに、団城の前を通る道路は、ここで団城を囲むように大きなカーブを描いています。

作者のプロフィール
 李順然、中国国際放送局(北京放送)元副編集長。著書に『わたしの北京風物詩』『中国 人、文字、暮らし』『日本・第三の開国』(いずれも東京・東方書店)などがある。
紹介した内容

☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第十二回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第十一回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第十回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第九回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第八回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第七回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第六回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第五回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第四回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第三回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第二回
☆ 話・はなし・噺・HANASHI~第一回

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