「天津東駅」前
中国の新幹線ともいえる高速列車『和階号』が「北京―天津」で走り始めて1年がたちましたが、、国営の中央テレビでは、この高速列車のおかげで観光業をはじめとする天津市の産業が躍進したと報じました。で、ここではこのコーナーのタイトルを無視して、北京のお隣の天津を簡単にご紹介しましょう。ごめんなさい(^^;)
天津市の中心にある「天津東駅」
私の故郷でもある天津。これまで何度も帰りましたが、その都度、都市の変化などに少しづつ気付いていました。
天津という町は今から約600年の明王朝に出来たもので、当時は天津とは言わなかったものの、これまでこの町は、中国と運命を共にし、さまざまなことを経て今日に至ったのです。天津は華北平原の300あまりの河川が最終的に流れ集まるところで、渤海湾から言えば要所であり、軍事的にも重要な地点であるばかりか、昔から各地からきた商売人で賑わう港としても栄えてきました。
解放橋ー旧「万国橋」、昔は租界地の東西を結んでいました
1860年、清王朝は列強と『北京条約』を結び、天津は外国人をいち早く受け入れた租界地の一つとなりました。市内をうねりながら西から東に流れる「海河」の沿岸から馬場道まで続いた租界地ですが、その建物はのちの唐山大地震にも負けず、いまも昔ながらの面影を残しつつ威風堂々とした姿を残しています。
馬場道沿いの建物
そして今になっても都市作りで、天津市政府は元の租界地の建物を壊したり増していません。天津東駅前の広場からは、「海河」だけでなく、修復中の租界地の建物が見えます。なんでも今は、「海河」からフェリーに乗って両岸の租界地遺跡を眺める観光コースが人気だそうです。
旧イタリア租界の向かい側の「広場」からは建設中のビル群が見えます
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