今年は中国の改革開放政策実施30周年に当たります。「イキイキ中国・国慶節特別番組」、改革開放30年来、中国国民の生活にスポットを当てます。 改革開放政策が実施される前、中国では、老若男女を問わず、服の色は一色でした。緑、青、黒、灰色、都市でも農村でも、人々は単調な色に身を纏っていました……
「華北の陶磁器の都」である唐山市は、1976年の「唐山大地震」でその名が知られています。唐山市は北京からは南東へ150キロ離れた河北省の東部に位置し、北京首都圏の一角となり、環渤海経済圏を形成する重要な産業都市の一つです。1976年7月28日、唐山市はマグニチュード7.8の直下型地震に襲われ……
1976年7月28日、唐山市はマグニチュード7.8の直下型地震に襲われ、建築物はすべて倒壊し、24万人以上の犠牲者が出ました。この地震で唐山市は100億元以上の損失を蒙りました。唐山には炭鉱や鉱山があるため、廃墟を放棄して完全移転することはできず、そのため市域を広げ隣接する場所に被災者のための団地や移転してきた工場などからなる新市街地を建設しました……
旧市街の再建に取り掛かり、再建された旧市街の中心部には抗震記念碑や抗震記念館が建てられました。
唐山の復旧・復興には7年もかかりました。2005年、唐山市のGDP・国民総生産は河北省のトップを占めるまでになりました……
今回のリポートのカメラ担当は栖霞に住む62歳になるカメラマンの李ハン明さんです。若いときから町の様子を撮り始め、自然風景や町の様子を白黒写真の頃から記録し続けています……
10月16日、山東省栖霞市では、今年で7回目になるリンゴ祭りが始まりました。今年のテーマは「リンゴの文化」で、果物の販売促進、交流の強化、町のイメージアップを目指しています。開会式には、地元政府や、山東省、外国企業の代表など、8000人余りが参加しました。式典には地元農民による出し物が行われ、道教の太鼓踊り、龍舞、ヤンゴ踊りなどが披露され……
栖霞は「霞がとまる」という意味で、ここは古くから霞がよくかかることで名が知られています。地理的な位置は日本の仙台市に近く、面積が2016平方キロで、仙台市の2倍ぐらいです。内陸の町ですが、北は蓬莱、南は青島、東北は煙台と接しており、交通の便もいい場所です……
栖霞のリンゴ栽培の始まりは1871年、アメリカの宣教師が苗を輸入したことがきっかけでした。その後、国光などの品種が栽培されましたが、改革開放の後、日本の富士リンゴなどを大規模に栽培しはじめました。富士リンゴは色が鮮やかで、さくさくした食感があり、みずみずしい上に甘いので……
中国の農家は、お金が貯まると家を建てる習慣があります。ここ栖霞の農家もそれは同じで、そのために建材などの関連産業も盛んになりました。また、農機も買うようになりました。オートバイ、衣類などへの需要も増えました。輸送業も伸びました。ほかの町からリンゴのバイヤーが集まってくるので……